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ホリィ(新人)のことを語る

久々の新着、丹波市柏原にて。


ブルーグレーっていうんでしょうか、この釉薬は石州瓦ではあまり見られない色ですね。
もっとも、九州の例にも見られるように大黒さんの鬼瓦は石州瓦特有というわけではない感じなので、よく分かりませんが…。

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こういう研究者の方が集まる会に参加したのは、この時の「平安京・京都研究集会」が初めてです。
3年ほど前から歴史博物館の展示に合わせた講演を狙って聞きに行くようになったんですが、そのうち一般向けの講演では物足りなく感じるようになりまして…。
僕自身はまだまだ先達の知見に学びつつ咀嚼している最中ですが、それでも最新の研究成果が一般の歴史愛好家に届くまでに大きな隔たりというか断絶みたいなものを感じていて、そんな中でもより深く興味を持った方に何か感じていただければとの思いもあって、考えたことをここに書いたり、ブログにまとめたりしています。

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伏見稲荷本宮祭にて、ほぼ同じ構図の写真撮ってて笑った

2015年

2013年
今年の写真はまだ全部アップロードできてないです。

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ちょいと播磨~但馬~丹波と廻ってきました

どうしてこうなった

肖像画の平野國臣

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弘治年間に武田信虎の子(信顕)が三好氏に取り立てられたという伝承があることから、早くから三好氏は今川・武田と誼を結んでいたのではと思ってましたが、信濃を守護の小笠原氏へ返還するのが長慶の意向だったとすると、むしろ武田とは敵対することになりますね。
将軍から各地の大名への和睦斡旋や上洛要請は、三好氏の圧迫に対抗して自らの権威を高めようとしたものと解釈されてますが、少なくとも小笠原氏の復帰を目指した一連の動きについては、両者の意向が一致していたのは間違いないでしょう。
そう考えると、将軍を迎え入れてからの義輝と長慶の関係は、後の義昭…[全文を見る]

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芥川賞よりも芥川山城に登りたいですッ!!

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肝心な話に触れてませんでしたが、なんで三好長慶が小笠原氏に肩入れするかというと、承久の乱後に佐々木氏に代わって阿波守護に任命されたのが小笠原氏で、そのため阿波に土着した有力武士には小笠原氏の支流が多く、三好氏も系譜の上では小笠原一族を称していたからです。
南北朝期には北朝方として細川氏が阿波へ入国し、小笠原一族の多くは南朝方として戦ったものの、やがて細川氏の軍門に下ったとされています。
ちなみに小笠原氏の家紋が三階菱ですが、三好氏もそれに因んだ三階菱に釘抜紋を使っていました。

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将軍義輝から「小笠原大膳大夫帰国事」との謙信への御内書が送られたのが、永禄4年3月。
高槻にある本山寺には同年閏三月、小笠原長時が信濃への復帰祈願を依頼した願文が提出され、同じく喜三郎(貞慶、当時は貞虎)からの書状によると「今度下国身上儀に付き、存分の儘候ば、其相応の地に随い寄進申すべく候」とあるそうです。
この流れを読むと、信濃復帰を図った貞慶が将軍の御内書とともに謙信のもとへ下った可能性が高いこと、そして永禄4年8月に謙信が出陣し大激戦となったあの第四次川中島の合戦には、義輝の意向(≒三好長慶の意向)が関わっている可能性が高いわけ…[全文を見る]

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三好長慶に関してWebで見られる論文を探してたら、興味深い内容の論文を見つけました。
村石正行「小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流」
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-20130400-0039.pdf?file_id=86399
醍醐寺文書にある小笠原長時書状には、武田氏によって領国信濃を追われ在京していた長時が六郎殿(=細川晴元の嫡子)に馬術指南をしていたことが分かるとのこと。
また、長時は義興を通じて筑前守(長慶)の病状について知り得る立場であることから、三好家に深く関わっていたことが窺えるとも。
天野先生も小笠原氏を通じた上杉氏との連携の可能性を指摘されてましたが、この論文でも、将軍義輝から謙信に対して小笠原氏帰国への協力を促す御内書が出された背景には、三好氏の手引きがあったと推測しています。

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http://meitou.info/index.php/義元左文字
ここも結構関係者の動向から来歴がまとめられてるけど、また混乱するような記述が。
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もとは三好政長が所有していたが、天文5年(1536年)7月武田晴信と三条氏の婚姻の時に引き出物として贈られ武田氏に。
大永7年(1527年)2月、桂川原の戦いで細川晴元配下の三好政長は、管領細川高国の要請に応じて出兵していた若狭の武田元光を破っている。この時に味方しないよう信虎に贈ったものともされる。この後、堺公方府が誕生する。
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ところで以前から、刀ブームに便乗して三好宗三(政長)父子の記事を書こうと思ってるんですが、宗三左文字について一番知りたい、三好政長→武田信虎→今川義元と渡った経緯が分からないままなので書けてません。
天文12年に上洛した信虎が政長から贈られた説、天文18年の政長討死後に拾われて弘治~永禄初期に京都に在住していた信虎が入手した説、知ってる限りでは出所が分かっているのはこの二説ですが、どちらも信虎が甲斐を追放された後になるので、Webで広まっている、信虎の娘が義元に輿入れする際に持たせたという話は成り立ちません。

あの話が広がってるのは多分W…[全文を見る]

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そういや昨日の歴史秘話ヒストリア見ました。日本刀ブーム云々っていうか内容ほぼ幕末期の和泉守兼定の話でしたが面白かった。土方と同時代、しかも会津藩士だったとは知らなかった…。

http://www.geocities.jp/ntooma/aizukanesada.html
「刀剣美術」52号からの引用とのことですが、番組の参考文献にも挙げられてました、これ。
番組では明治維新後は刀を作ってなかったかのような話でしたが、これによると新潟に住んでた時期や福島県で土木課に勤務していた時期にも作刀は続けていた模様。
明治25年にも皇太子殿下に自鍛の一刀を献納とありますから、隠居中に突然陸軍に…[全文を見る]

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『武辺咄聞書』の読みやすい翻刻文を載せてるサイトを見つけた
http://www.kikuchi2.com/buhen/buhaki.htm

これの23話に、信長が三好長慶に会いに行ったという話があります。
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信長は夫より河内国高屋の城へ行、奏者を頼被申入は「某儀は織田上総介信 長にて候。尾張の本領を以三好家へ進上可仕候。其代地を五畿内にて可賜候。左候はゝ 譜代の士卒五千余にて三好殿の御先手を可仕」と望給ふ。三好長慶聞て「是は兼て聞伝 へたる勇士也。其所望に応せん」と宣ひしを、松山松謙斎・松永弾正等諌て曰「信長去 年五月桶狭間にて今川義元を打取たる手柄、惣て其行跡を聞…[全文を見る]

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戦国の世に学ぶ「若者の育て方」
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/06/27/213249528
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戦国大名・大友宗麟の家臣として活躍した戸次(べっき)(立花)道雪、高橋(吉弘)紹運(じょううん)、立花宗茂の3人の功績をたどる集いが27日午後2時から、豊後大野市三重町の市中央公民館で開かれる。「3人の生き方を現代社会に反映したい」と願う地元有志が主催する。入場無料。
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もう終わってるけど

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メンバーは道雪らをテーマにした大河ドラマの実現を目指して、その功績や古文書の解読文などをインターネットで紹介したり、紹運が生…[全文を見る]

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石山合戦の挙兵までの流れを中心に書きためていた記事でしたが、天文の錯乱からの流れを足したらほとんど三好の話になってしまったので、結局三好メインでまとめ直しました。なんか篠原長房推しみたいなところもありますが、長房についても改めて書く予定です。

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あと斎藤龍興が対織田戦略を主導する役回りで出張ってますが、その代わりに三好が「三好三人衆」としてモブっぽいシーンだけで、松永や篠原は名前すら出てなかったような…。
斎藤義龍が一色氏の名跡を継いだり相伴衆に任じられたのは、畿内を掌握していた三好長慶と将軍義輝の和睦による幕府再興が前提で、三好・六角・斎藤 vs 織田・浅井 という構図もその延長線上にあるんですが、信長上洛以前の情勢を初見の読者に分かるようにマンガで描くのは多分ムリでしょうし、バッサリ切り落とすのも仕方ないのかな。
龍興は竹中半兵衛の有名な逸話の引き立て役程度の扱いが多かっ…[全文を見る]

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昨日は漫画喫茶に籠って改めて最初から「センゴク」読んで、3時間で三方ヶ原が終わったところまでいきました。
この作品、ちょうど三方ヶ原辺りからたまに読むようになったんですが、初めの方はかなり恋愛に寄ったストーリー展開だったんですね。
序盤で重要な役割を果たしている山崎新平と鳥居景近ですが、前者は『改撰仙石家譜』に名前だけ出てくる人物のようですが、後者はちゃんと朝倉義景の最期に付き添った側近の一人として名を残しています。


大野の義景墓地に行った時は、マンガに出てる人物だとは気付いてませんでしたが。

左側が鳥居景近の墓です。

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今使ってるカメラは望遠は効くけど長時間露光できないので夜景は全然ダメ…



眉山にはこういうよく分からないモニュメント?もありました。
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なんとなく見覚えのある顔だと思ったら、これや!!

でも見比べたら、そんなに似てないかな…