アップリンクで『オマールの壁』。予告編での「思いがけない結末」、とは何か。占領下のパレスチナという、イスラエルにとっちゃ字義通りなんでもありの、パレスチナにとっちゃ生きるためになんでもありの土地と人間がテーマでの、思いがけない結末とは?
①全ての物語は壁を乗り越える際に撃たれたオマールが落ちて死ぬまでに見た夢(古典的すぎてそのまんまでは使われることがレア)
②彼女が二重スパイ(ヨーロッパ映画というか英仏独あたりの映画手法で、パレスチナ映画としてどうなのか)
③オマールと尋問官がパレスチナ占領について延々談義(そんな押井守的な展開は厭だ)
とか考えたが、どれもあり得ない。
まあ、結末は思いがけなくはなかったが、経過がえぐかったですね。
あと、パンフレットの四方田犬彦寄稿分に校正漏れ発見。
× もろともせずに
○ ものともせずに
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』、思い返してもツッコミどころいろいろあったなあ。特にBL的に。
深町が声もなく泣きながら羽生の写真を焼くシーンは、ユーミンの『リフレインが叫んでる』の「泣きながら〜 千切った写真を〜 掌に集めてみるの〜」あたりを思わせるし。
そもそもBL展開向けの材料が多すぎ。深町を普通の人から羽生みたいな人非人的な性格にキャラ変更したことで、自分と同じものを感じて、一目会っただけの彼に惹かれていく展開だし、羽生のルートをたどるにしても、羽生と同じ単独無酸素の必要はないのになぞっちゃうし。
「一緒に帰るぞ」に至っては、…[全文を見る]
ちなみにいちばん引っかかったのは、90年代前半のすずらん通りのそこ、ガストじゃないよね? ってことでした。近過去再現は『アオイホノオ』ばりにやってくれないと萎えるわ~。
しかし改めて思うのは、エベレスト無酸素単独登頂って、もともと高所に住んでるチベット人がもし登山家目指したら、まったく意味のなくなる挑戦なんじゃないかってこと。
ようやく見た『エヴェレスト 神々の山嶺』。『エベレスト 3D』が客観的な映画なら、こちらは主観的な映画。怖いのは山ではなく、山に執着する山ヤの業なのがよくわかるホラー映画であり、絵面的・熱さ的に登山BLでもあり。体質的に高所登山ができなくなったことにこれだけホッとする映画もない。
あと、映画的演出なのか、その標高でそれはないよね、とか台詞多すぎ、とか、合成が相変わらず日本映画っぽくしょぼい、などあって、なんというか、原作とマンガとは別物でした。ただ、深町がファーストシーンから羽生に相通じる人非人さを持っている人物として原作から改変されたのは、山ヤは頭がおかしいってことを知らしめるのには有効だと思います(褒めてます)。
『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』、せつなかった。脳の老化と闘う93歳のホームズを、70代後半のイアン・マッケランが演じる。
真田広之演じる梅崎が、ホームズを日本に呼び寄せた魂胆が明らかになるにつれ、広島の爆心地に連れて行き、そこに生えている山椒を持ち帰らせた意味を考えてしまう。
しかし、もし梅崎が原子爆弾の被爆後遺症を知っていたとして、93歳に果たしてその復讐は有効かどうか。
それよりもやはり切ないのは、往時のホームズならすぐに気付いただろう、アナフィラキシー・ショックの原因追究にあれだけの時間がかかったこと。梅崎に書いた手紙は、様々な老化という現実からショックを受けたホームズの、嘘も方便、だったのだろうか。
http://gaga.ne.jp/holmes/
神保町シアターにて、『江戸川乱歩の隠獣』。キャストも贅沢なら脚本もカメラもよく、和服も山の上ホテルや横浜グランドホテルも眼福の、黒蜥蜴の習作のような一本。
探偵の推理作家役に若くて可愛い柴犬みたいなあおい輝彦。わたしの好みではないけれど、ああ、これはそうとうな人気だったろうなあと納得。
対する黒蜥蜴役はリカちゃん人形のモデルでもある香山美子。彼女の和服姿はいちいち素敵なんですが、半襟がずーっと同じものだったような? 富豪夫人ならそここそ替えると思うのだけど、短期間撮影で長襦袢を着っぱなしだったのかしら。
そしてあおい輝彦の担当編…[全文を見る]
『真夜中の弥次さん喜多さん』 ※DVD
やっとみました!
好き嫌いはハッキリ分かれるかな、シュールです。終盤は結構シリアスで驚きました。
弥次喜多のやり取りがかわいかった ┌(┌^o^)┐
『Maiko ふたたびの白鳥』での黒鳥のフェッテ、見てるこちらもハラハラした。それはあのシーンが『白鳥の湖』の文脈じゃなく、組織で仕事をする上での「このプロジェクト失敗したら降格ね」という彼女の人生の物語に沿っていたから。バレエに興味なくても、仕事をする人は思うところあるのでは。
『Maiko ふたたびの白鳥』@恵比寿ガーデンシネマ
初っ端から泣かされる。いやー、これはズルい始まり方! しかし、シビアなバレエの世界を語るしっかりした西野麻衣子=マイコの声と、レッスン中のきっちり上がってる胸筋や横隔膜のプロな身体、舞台袖で気合入れるためにマイコが自分の太腿をぱしーんぱしーんと叩くところは、バレエの体育会系なところを表していて上手いな! というところで、その涙もすぐ乾く、と思いきや……。
なんかもう、いろいろ心揺さぶられました。女として仕事を続けることで、仕事の場での誰が味方なのか敵なのかハラハラするところ、産休中の代…[全文を見る]
新装なってから初の恵比寿ガーデンシネマ(あ、売店でおしゃれイートインし忘れた)でクストリッツァの『ジプシーのとき』。ファンタジックな描写はほとんどなく、ロマとマフィアがかっこ良くなく容赦無く描かれる。
園子温がダメな人はたぶんダメだけど、園子温好きはきっと好きだろうと思われる映画。まあ、『アンダーグラウンド』がそもそもそういう映画だけれど。
この映画は園子温的な軽やかさやポップさはなくて、人間の業が「そこでそうしたら、きっと……」「あぁ、やっぱり……」という予想される逃れられなさをどんどん突き付けてくる。
果たして、自分が彼や彼女…[全文を見る]
原作が面白かったので見た映画『オデッセイ』、原作『火星の人』でのC国との取り引きが、がっつり削られて、まるですごくいいヒト(ヒトじゃないけど)になってた。
ただ、原作では描かれないその取り引きの結果がチラッと映画で拾われてたのには感心。でも原作読んでないと気づかないかも。
あと、某転覆事件もがっつり削られてたのは残念。でも子どものころ見た月面移動車的なものの進化した姿とか、仕事空間としての宇宙船内部なんかがたっぷり見られたからいいかな。
それと、中高年にはあの船長の音楽ファイルはツボすぎます!
『神なるオオカミ』
ジャン・ジャック・アノーが監督した中仏合作映画『神なるオオカミ』を見てきた。原作本のことを知らなかったのだが、調べたら原作の方が圧倒的におもしろそう。
というか、うっすら読んだ覚えが。しかし、現在は絶版の模様。上下巻のところ、Amazonでは上巻は古本があるが、下巻はなくてkindle版がある。
映画はオオカミが最初に襲いかかるところはぞっとするし、赤ちゃんオオカミや子どもオオカミ、草原の自然が美しかった。遊牧ゲルの嵐への備えや移動時の解体が見られること、モンゴルの草原での葬送儀礼が見られるのもうれしい。
ただ、飼育オ…[全文を見る]
『ストレイト・アウタ・コンプトン』
20年でそうそう差別の構造って変わらないんだな、と少しダウンした。
あと、ちょっと長いかな。面白いけど、長さを忘れるほどじゃない。あと予想より暴力表現控えめ。でも見てよかった1作。
職場近くの岩波ホールでずっとかかってたのに見逃し、ようやくアップリンクで見た。
http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/
『光のノスタルジア』
人を粗末に扱う、それも大量に、ということを人間が覚えたのはいつからだろう、と、チリの海中やアタカマ砂漠で発見されないでいる遺骨を思った。
第二次世界大戦中より、その後の世界の戦死(それがゲリラやテロの正規軍でないものも含め)や時の政権による虐殺の方が、人数が多いんじゃないだろうか。
戦争は様態を変えるごとに、そこで死ぬ人数が増えていくよね。古代ギリシャとローマの途中までは、戦争=自分たち…[全文を見る]
『ボクは坊さん。』
軽いタッチの映画かと思ったら、けっこう深く切り込んでくる映画で、ぐすぐす泣いてました。
最初の方では、「なんでこんなふつうのことを凡庸に見せるんだ」と、各エピソードについて思っていたんですが、その凡庸さと当たり前に起こる生老病死・愛別離苦に寄り添うのがお坊さんの役目、というところに落とし込むための演出だったのかも?
言うなれば、泥の付いた蓮根を「産直ですよ〜」と並べていて、泥の付け方がちょっとあざといなあ、と思っていると、その蓮根の先に蓮の花の蕾がつながっていることを知らされる、そんな感じ。
ラストシーンは宗教の垣根を越えて、祈りの力を信じたくなる描写でした。
『エベレスト 3D』
久々に3Dメガネかけての映画鑑賞。登山映画の恐怖は3Dでも角度とかセオリーはあんまり変わりませんね。そして登山のミスは高くても低くても
・時間厳守
・装備はきちんと使う
を怠ることに尽きるなと。わたし自身はいちばん高く登ったのが赤岳の途中までだけど、けっこうあるあるで、そういう意味で恐怖は想定内だったけど、怖かったのはヘリの離発着シーン! あれは怖いなー!
そして何も調べずに行ったので、難波康子さんが亡くなった隊の話でハッとした。映画だとわかりにくいけど、キャンプから当時、300メートルしか離れてないところで遺体が見つかったんですよね。無念だったろうなあ。
『ハーモニー』
対話によってではなく、完全な管理でしか平和を保てないなら、万物の霊長などと言う資格はもはやない。これは原作を読んだときにも思ったこと。
そして、humanを人間と訳した明治の人、ありがとう。
そう、人間性はホモサピエンスのヒト単体には発生しにくい。ヒトとヒトが出会ってやっていこうとする、その間に人間性は生じる。
だから、対話、話し合いを放棄するのは人間性の放棄に繋がるんですよ。
そんなことを、パリのテロとフランス空軍の空爆のあとに見た映画で思った。
『屍者の帝国』
入場者プレゼントです、ともらったのだが、まさかキャラデザイン表でいちばん違和感のあったこの人をこのイラストレーターが描くとは。違和感は、あの時代に服を着ているにもかかわらずのあのお胸のラインなのですが。
それはともかく、映画版『屍者の帝国』は愉しかったです。大塚明夫さんの声を聞いたせいか、屍者たちが『イノセンス』のタイプハダリたちの起動シーンを思い出させるせいか、たびたびバトーさんの「魂を吹き込まれた人形がどうなるかは考えなかったのか!」を思い出してしまったり。
『キングスマン』
おっさんのスーツと眼鏡姿でのスパイアクション、エロくて最高! 世界を平和にしたい動機が自分の家族っていう地に足着いたリアルが身に沁みる。音楽の使い方がベタすぎてむしろ何かを超越してたな。
そして予告編で、007を別の例のSF視点から見てしまう自分に気付く。早くワトソンから現代JBまでの屍体スパイものの年代記が書き継がれないかしら。
あと、予告編でみたガイ・リッチーのアメリカとロシアのスパイが冷戦時代にバディ組む映画は絶対見たい。またしてもBLネタに事欠かない雰囲気!
ところで、主人公が「後ろで」にキラーンとなるのはモーリス的なBLへの目配せっていうのは深読みしすぎですかね?