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Tips:「話題」は“北海道/札幌/中央区”の様にスラッシュ(/)区切りで下位の話題を作り、重層化することができる。
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外国人参政権のことを語る

根拠:流れを加味して「それを何に対してどう記述しているか」を読み解くのが「読解」と言うもので、
「反対だ、と書いてないからこれはただの予測なんだ」ってのは虫のいい話かと。

ただ「議論の流れを読まずに、その文の『書いてある所にだけ』反応する」rcfさんらしい論法だなあ。とは感じました。ある意味一貫している。
まぁこれ以上は議題とずれますので。

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自分(id:ken_wood14)のことを語る

[仮説]
この世において価値のあることはアートとコミュニケーションしかない。
他の全てのものは、アートとコミュニケーションを行う時間的生活的余裕を生み出すために存在する。

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自分(id:ken_wood14)のことを語る

「詭弁のガイドライン」と言うか、議論が食い違いを見せるパターンの一つに、
対立する2項目の「重さ」を考えずに、それぞれ「1項目」として扱ってしまう場合がある。
 
例えば「女性が男性にレイプされる問題」と「男性が女性のセクシャルな服装から抑圧を受ける問題」、
これらは双方ともに事実であるが、後者は前者に対して「それがナンボのもんやねん」と言う話である。
双方をそれぞれ別の話として議論していけばまぁいいのだが、同一線上の物にあるとして「1対1」でぶつけ合おうとする。
問題は後者を主張する者が誤認しているのみならず、前者を扱う者も「後者が対等のものだと誤認しながら議論するケースがままあることだ。

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ガールしりとり議論版のことを語る

あの、「統計的異常」に対して理不尽を行ったり、ある種の人々を「統計的異常」と判断すれば、判断された先の人たちがそれをどう思おうが「差別」だと思うんですが。
なんか基本的な用語の認識に大きな違い、と言うか間違いがありそうですね。

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ガールしりとり議論版のことを語る

例えば、黒人差別者でない人が、ある事例を黒人差別であるかどうか判断できないか、と言えばそうではありませんよね。
で、あれば「ありとあらゆる方面において」差別意識のない人が差別を認識できないか、と言うと、そうでもありません。
どうも「感受・感じ取ること」と「理解・判別」の区別が出来ていないように感じます。

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ガールしりとり議論版のことを語る

まぁ嗜好の影響を受けてる時点でそれは「感受」なんですよ、「理解」じゃない。

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ガールしりとり議論版のことを語る

受けないケースもあることをお忘れでは。

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ガールしりとり議論版のことを語る
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ガールしりとり議論版のことを語る

内面を問題にしていてもこれは覆りますよね。
そして「認識」と「理解」は違うと思いますが、これはまぁ「言葉遊び」の領域です。気にした私が悪かった。

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ガールしりとり議論版のことを語る

それはあなたの仰ってたこととは趣旨が違うと思います。
>その表現を見て「蔑視だ」「差別だ」と感じたのは,
>感じた側にも「蔑視意識」「差別意識」があるから,ではありませんか?
 
それと>個人の「嗜好」や「価値観」に依存している 部分は厳密には「理解」ではありません。感覚の部類です。人間はどちらももってますのでごっちゃになりがちですけど。

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ガールしりとり議論版のことを語る

本題とはずれて行く感じもしますが、好きと嫌いの前に「事実」があり、個人がその事実をどのように受信するか、と言う問題だと思います。
そもそもこのキーワードも、「各個人がそれをどう受信・認識するか」以前の、「その事実(表現)が差別かどうか」について語ってると思いました。
 
まぁ論点をキーワードに沿った内容に絞ると、「差別の価値構造が無くても,差別には気付ける」と思います。
その近しい例としてアートに対する嗜好と理解の違いを上げました。嗜好はなくても理解はできるのです、同様に。

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ガールしりとり議論版のことを語る

混同していません。
でも比較して同様のものとして分析することは可能です。

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ガールしりとり議論版のことを語る

いや、それはそうでもないでしょう。
例えばある演劇や音楽などで、自分の趣味ではまったくないのだが「これはいいものだな」「これは売れるな」と分かるものがある。ぎゃくに自分が好きで堪らないが「これは下らんな」と分かるものがある。
要するに「感性にヒットしなくても頭脳で理解はできる」と言う事です。
 
差別の存在は差別意識がなくても感じ取れる。

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外国人参政権のことを語る

特定の方々、はともかく、世界の各地でちっぽけな民族や宗教の違いで殺し合いが起こってる現実を考えると、「他者がやってくることに対する恐怖心」は妄想とはいえないと思う。
また、やってくる他者のモラルより、日本人の受け入れる度量の大きさを私は信用できない。
 
「受け入れない心」と言うのは火種であって、「火種のない世界を目指そう」と言うのには反対はありませんが、事態が最悪に転んだ場合、「火種をなくすために、まずガソリンから入れてみよう」と言う施策となることを私は恐怖します。

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外国人参政権のことを語る

今ひとつよく分からないのが、何を持って定住者とするかで、
「永住者」と「定住者」は違い、さらに法務省の2002年までの資料によると「日本人・永住者の配偶者等」と「定住者」も違うらしい。
とすると「定住者」とはなんだろう。「在留資格の更新を繰り返している人」なんだろうか、何回?そして日本に定住しようとするのは容易なことなのか?
 
 
永住者と定住者に選挙権が与えられないことが「差別」であるかどうかは、日本国籍を取るための道がどれだけ困難かどうかに拠ると思う。
その状態から抜け出す万人の採りうる道が用意されているなら、それは「行政的には」…[全文を見る]

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サンデープロジェクトのことを語る

それはそうなんだけども、建前とか奇麗事ってのが世の中にはあって、
建前を高らかにか掲げられないリーダーはちと信用ならんです。
理想が低いって事ですから。「外交とは軍事」とかは実務屋が裏で言ってればいいんですよ。
 
まぁそれと先の大戦から半世紀以上経過して「戦争は政治に必要なんだ」と表立って言っちゃえる人、そう言うのを「平和ボケ」って言うんだと思います。

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自分(id:ken_wood14)のことを語る

ちょっと自重するよ!

あまり気にしないよ!

ちょっと自重してんだろが!

余り気にしてないだろが!
になったりする。やってることは同じなのに。
「丸い卵も切りよで四角」と言うやつ、注意したい。

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自分(id:ken_wood14)のことを語る

私が思うにハイクは、メモ帳的な使い方ができると同時に掲示板的な使い方もできる、両面性を持ったシステムです。
(もう一歩進めて言うと「webは自由な空間」なのではなく「多くのwebは自由にやっても他者に影響を与えにくいシステムでできている空間である」と思います。はてなハイクは多くのと異なり、他者に影響を与えるシステムをトップに置いているwebだと考えます。)
両面性を持つがゆえに、それぞれを大事にするユーザーが使用するでしょう。
つまり「両者が一定数存在し続け」ます、ハイクには。誰かが考えを変えても、別の同じ方向性の人がいたり来たりします。
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o_keke_nigelさん、こちらこそ申し訳ありません。
少し気持ちがもげてしまった様なところがあって、また色々と考えがまとまらず、少し干渉は停止して様子見にシフトチェンジしていました。
 
私の行動基準としては、「ハイカーに何をどの程度望んでる人がどれ程いるか」で、
自由な空間を望んでいる人が多いなら、自由に
空気の読まれる空間を望んでいる人が多いなら、その様に
したいと思っています。
そしてはてなハイクは双方がある程度の数いらっしゃると感じます。

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自治厨ってのも同様で、自由方向に自治したいか、空気読み方向に自治したいか
ってそれだけの違いだ。
 
AさんがBさんに「○○してよ」と交渉・干渉した際に、『Bさんが「自分に干渉するな」と言う』のは「交渉」だろう。
そこにCさんがAさんに「他人に干渉するな」と言ったとき、Cさんは立派な自治派である。
 
自治厨じゃない人間と言うのは「他人に干渉するな」と『さえ』言わない人間です。
 

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  • webは、空気を読み合う空間であっても一向に構わないわけです。
    それに対して自由であるべしと唱えるのは個人の願望に過ぎません。
    その二つは出発点としては等価です。