高台寺、建物内には現代美術の展示がされてて、このプロジェクションマッピングもどうやらその流れで企画されたもののようで。
なんだかサイケデリックな感じで、よく分からないけど落ち着かない音が断続的に鳴ったりして、普通の観光客はこれ見てどう感じるんだろうと思って、ちょっと可笑しかったです。
検索してみたら、以前から現代美術の展示に力を入れてるみたいですね。
僕の趣味とは違いますが、京都の人は外部の人が求める「京都っぽさ」に迎合しないで欲しいとは思ってるので、歓迎したいです。
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ホリィ(新人)のことを語る
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/81816756358727409
ほぼこの投稿の内容じゃないの!!
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まみむめもって打って出てきた文字で性格がわかる
昔からワープロ使ってたような人はだいたい単文節変換の癖が身に付いてるんじゃないかなー。
どういう風に変換してるかで、ある意味性格が分かるのかもしれないけど。
今でも日頃書くような文章ではMS-IMEやGoogle日本語入力は全く当てにならないので、文節どころかほぼ単語で変換してます。人名や翻刻文を打つ時は単漢字変換も多いです。
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ただ、講和したと言ってもそれで共に矛を収めたわけではなかったのは事実のようで。
天野先生の長慶本によると、天文3年3月には抗戦派の下間頼盛が証如を人質に取って、再び細川晴国ら旧高国党と組み晴元方と戦ったとのことで、これに三好連盛・久助(後の長逸?)が同調し、晴元方の椋橋城を攻略したとあります。
実従の「私心記」にも関連してそうな記述がありました。淡々と日々の記録が書かれているので、これだけでは何のことやらという感じですが…(天野先生は「宝珠院文書」から状況を読み取られたようです)
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天文三年 二月十一日
三宅御門徒ニ可成由、申…[全文を見る]
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極楽寺前に立てられている石碑には、こんな風に書かれていました。
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大坂城がまだ本願寺であった室町時代に野田城[北は玉川四丁目交差点(旧名城の内)より東は恵比須神社の東側(旧名弓の町)迄が城域でその中心地が当地(旧名奥の町)]を訪れた本願寺第十世証如上人が六角定頼に包囲されたときに、蓮如上人の教化を受けていた野田福島の念仏者が証如上人を守護せんとして、二十一人が殉教された(天文二年八月九日)これらの討死衆の菩提寺として建立されたのが当時極楽寺でその後、本願寺南御堂の掛所となり、野田御坊と名付けられ今日に至っている
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【怒られる】ご~にんたいほですぐ解雇~♪
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元亀2年の本願寺挙兵の経緯と大坂・野田・福島の疑問に答えてくれそうな論文がありました。
仁木宏『二条宴乗記』 に見える大坂石山寺内町とその周辺
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DB00000843.pdf
信長が本当に本願寺に立ち退きを求めたのかどうかは重要だと思うのですが、見解が分かれているところのようです。神田氏は否定的に見られてましたが、仁木氏はそうではないようです。
こちらも各地の寺内町形成の経緯を詳しく見ていて参考になりそう。
中世末の畿内における寺内町の成立と変遷に関する研究
http://www.jusoken.or.jp/pdf_paper/1998/9707-0.pdf
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若松和三郎氏の『戦国三好氏と篠原長房』に書かれていた情報を元に、富田の教行寺兼詮の娘が篠原長房の元へと嫁いだ件を『石山本願寺日記』から確認しました。
蓮如の末子で証如の側近となり後に枚方の順興寺の住持を務めた実従の日記「私心記」より。
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永禄二年 六月八日
富田息女、阿波篠原所ヘヨメ入也。悉皆是ヨリサセラレ候。△福島マデ御送候。屋クラヘ行見物候。
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遡って天文三年の記事を見ると当時から野田・福島とセットで記載されていて、すでに大坂の海の玄関口として利用されていたようです。
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天文三年 七月二十八日
御斎、野田・福島ヨリ被申候。汁三菜十。
△日中、御式アリ、如常。○三宅稱願寺、被来。
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元亀元年に三好三人衆が野田・福島の城を改修して立て篭もりますが、それ以前から本願寺の寺内町だったのかも。
だとすると、信長が本願寺の挙兵に驚いて慌てたというのはあまりにも迂闊だと思いますが…。
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ここのところ赤松とか三好とか本願寺のことばかり書いてるので、たまには尼子ファンアピールしないと不安になるのです
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上月城で滅んだ勝久ではなく毛利に降った嫡流の義久の方は、慶長年間に長門へ移されて仏門に入り、家督は子がなかったため弟の倫久が継ぎ、倫久の子・元知の後は宍道氏からの養子孫三郎が継ぎ、旧姓佐々木氏に改めてこの一族が尼子氏研究の最重要史料「佐々木文書」を伝えました。
なお周布氏は石見益田氏の支流で大内→毛利と仕えた一族ですが、後年に尼子氏の冥福を祈って倫久の墓を建てているそうです。
「ちなみに」以下の方が長くて何が言いたいのかよく分かりませんが、要するに毛利の時代になっても、いや現代に至っても尼子の魂は不滅だということですよ!
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花燃ゆ
売り出し方からして気分が乗らないまま、見たり見なかったりという感じですが、予告に前原一誠が出てましたね。今回のドラマでは結構大きい扱いになるんでしょうか?
萩の乱には松下村塾の塾生が参加して、玉木文之進の養子・正誼(乃木希典の弟)は戦死、文之進も自決しています。
これをどう描いてくれるのかが一番の見どころだと思ってますが、今の路線だとあまり期待はできなさそう?
ちなみに前原氏は尼子晴久に仕えた米原綱寛の支流の末裔です。一誠は養子ですが、本姓の佐世氏も尼子氏の重臣・佐世清宗の末裔。
米原綱寛は富田城の開城前に毛利に降伏してま…[全文を見る]
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蒼天録は登場人物は少ないですが、初期のシナリオは明応年間から扱ってるのがいいんですよね。赤松政則&浦上則宗もギリギリ登場してます。
信長じゃねえだろってツッコミでもあったのか、後のシリーズでは信長以前はほとんど扱わなくなったようですが…(蒼天録のスタッフに戦国初期が好きな人でもいたんでしょうか)
細川政元は結構イメージに合ってるかも。
細川高国はなんだか強そうな顔。画像残してないけど、大内義興もこの頃はまだ凛々しい感じの顔でした。(最近のは公家メイクに…)
誰やねんきみ、って感じの細川氏綱。なんでこんな顔が採用されたのか、さっぱり…[全文を見る]
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2月のフォトライフ無料分が余ってたので、待機していた関ヶ原ウォーランド写真の残りを上げました。
ちょっと手つきがかわいい明石掃部
顔はオッサーン
でもまだ使いきれなかったので、昔「信長の野望」でスクリーンショット切り抜いて溜めてたやつを上げました。
蒼天録の尼子経久!キャーカッコイイ!!!
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2/24に何か「利神城」でちょっと波が来ていたっぽい?と思ったら…これか!
神戸新聞NEXT|社会|第二の天空の城へ 佐用の「利神城跡」整備に着手
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201502/0007765407.shtml
>同町は15年度、史跡周辺の雑木伐採や、研究機関と連携した現状調査、案内板の整備などに着手。将来的に国史跡の指定を目指す。町は「長期的な取り組みが必要だが、まずは歴史的価値を広め、(史跡指定や観光地化の)機運を高めたい」とする。
僕も57億円手に入れたら着手しようと思ってたんですが、先を越されたようです。いやー、こ…[全文を見る]
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応仁元年(1467)時のだいたいの年齢順
山名宗全(62)、京極生観(61)、斎藤妙椿(57)、伊勢貞親(51)、武田信賢(47)、朝倉孝景(40)、吉川経基(40)、浦上則宗(39)、細川勝元(38)、一色義直(37)、山名是豊(多分このへん?)、斯波義敏(33)、足利義政(32)、畠山義就(31)、山名政豊(27)、足利義視(28)、畠山政長(26)、武田国信(26)、武田元綱(26)、斯波義廉(23)、大内政弘(22)、朝倉氏景(19)、六角高頼(?)、赤松政則(13)
現役世代は割とお年寄りが多いですが、孫世代まで入れるとメジャーな武士だけでもよりどりみどり。
ちなみに尼子経久や伊勢盛時(北条早雲)はまだ10歳、細川政…[全文を見る]
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煉瓦造りの建物。大阪城には、こういう時代ごとの建物が残っているのも面白いです。
どう見ても軍関連の施設ですが、現在は「大阪城公園城内詰所」となっています。
元々は西大番頭小屋といって、1年交代で大阪城本丸の警備を担当していた将軍直属部隊の宿所があったそうです。
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これは「残念石」といって、切り出されたまま石垣になることが叶わず放置されたもの。
小豆島にある黒田長政の石切丁場に残されていたものを運んできたようです。
残念石は各地に残されていますが、そういえば最近六甲山でも遺構が発見されてました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201405/0006966352.shtml
これも元和の大阪城修築に由来するものですが、西宮にある越木岩神社に残された巨石の一部。備中松山藩の初代藩主を務めた池田備中守長幸の刻印だそうです。
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応仁・文明の乱を題材にした腐女子向けのゲーム出したら絶対うけるって、ずーっと考えてるんですが
今しがたふと閃いたタイトルは『おにんにんの乱』【怒られる】