長らえばまたこの頃や忍ばれむ憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき(藤原清輔)『新古今和歌集』
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磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国に人ふたりありとし思はば何か嘆かむ(詠み人知らず)『万葉集』
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先日、富山市で日本音楽療法学会が開かれました。そこで私は、「こきりこ節」という唄と踊りを目にしました。……
今回の学会では、音楽の臨床利用についての発表がありました。米国・コロラド州立大学の脳神経学者マイケル・タウト博士によると、人が音楽を聴いた時、聴覚中枢以外の脳の各部、前頭葉、側頭葉、後頭葉などに微妙な影響があり、脳の機能が活発になることが実証されたということです。
タウト博士は、「音楽は脳の生物学的言語」と結論されました。音楽は、病気の治療やリハビリテーションのためのある種の「言語」になっているというのです。人間の心は言…[全文を見る]
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「性格異常は病気ではありません。
本人に治ろうという意思が無くてはカウンセリングの意味もないのです。」(森依四月)
――『恋愛的瞬間』⑤ 吉野朔実
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【2001.8発行の雑誌に載っていたもの】
菊地「今は嫉妬の時代だから。今、嫉妬と怨念と復讐ぐらいしか人間が強烈な感情になる余地ってないじゃないですか。」
――2ちゃんねるとか?
菊地「うん。この間も話したけど、俺、2ちゃんねるがこれから救済の装置として流行ると思うんだよね。今、2ちゃんの中で愛を説き始めたら衝撃的じゃないですか。(引用者注:電車男は2004年)しかも愛は憎悪と同じくらい中毒性があるから一気に広がっちゃうと思うんだよね。で、2ちゃんねるの中で人間のダークサイドとライトサイドが戦うようなことがあったとしたら、要するに2ちゃんねるが国…[全文を見る]
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この作品でキーワードになっているオペラは二つある。一つは言うまでもなく救難信号に乗って流れてきたプッチーニのオペラ「マダム・バタフライ」。そしてもう一つが、同じ作者のオペラ「トスカ」である。
しかし、「トスカ」がなぜ重要なのか、それは意外とわかりにくいのではないだろうか。なぜなら、映画の中で特にこの作品の名前が出てくるわけでもなく、またこの作品自体、それほどメジャーなオペラというわけでもないからだ。ところがこのオペラのワンシーンが映画の中で引用され、しかもそれが象徴的な意味を持っているのである。
では、どこで「トスカ」が引…[全文を見る]
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【手抜かり】
話はこうだ。
律法学者(ラビ)エリエレクが弟子たちと夕食をとっていた。召使がスープの入った皿を運んできた。律法学者(ラビ)はそれを引っくり返し、スープがテーブルの上にこぼれた。リマノフの律法学者(ラビ)にもうじきなるはずのメンデル青年が叫んだ。
「先生、何をなさるのです?わたしたちみんなが牢につながれてしまいますよ。」
ほかの弟子は笑い顔になった。おおっぴらに声を上げて笑いたかったものの、師がその場にいるのでそれを慎んだ。ところが師は笑い顔を見せなかった。彼はそのとおりだというように頷き、メンデルに言った。
「息…[全文を見る]
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【ナポリの乞食】
ナポリに住んでいたとき、わが王宮の戸口に女乞食が立っていて、わたしは馬車に乗る前にこれに硬貨を投げ与えていたものだ。ある日、この女がまるで感謝のしるしをみせないことに不意に戸惑って、わたしは女をじっとみつめた。乞食だと思っていたものが実は赤土と腐りかけたバナナの皮のつまった緑色の木の箱だということが、まさにこのときわかった。
___マックス・ジャコブ『骰子筒』(1917)
ボルヘス怪奇譚集(柳瀬尚紀訳)晶文社. p. 65.
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【社交の上首尾】
召使いがわたしの外套と防止を差し出した。わたしは自己満足にほてる思いで夜のなかへと歩き出した。「愉快な晩だった」とわたしは思った。「この上なくいい人たちだ。財政とか哲学とかの話に聴き惚れてくれた。豚の鳴き声を真似たときなど腹をかかえて笑ってくれたし。」
ところがまもなく、「ふん、身の毛がよだつ」とわたしはつぶやいた。「死んだほうがましだ。」
___ローガン・ピアソール・スミス『トリヴィア』(1918)
ボルヘス怪奇譚集(柳瀬尚紀訳)晶文社. p. 120.
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【出会い】
ローマに対する憎しみの下で育てられ、ローマを壊滅すべく教育されたので、ハンニバルとハスドルバルの兄弟は、一方は南から、他方は北から、イタリアに侵入した。兄弟は11年間顔を合わせなかった。ふたりは勝利の日にローマで出会う計画だった。しかし執政官ガイウス・クラウディウス・ネロはメタウルス川の堤でハスドルバルを破った。彼はハスドルバルの首を斬って、ハンニバルの陣地へ投げ込むよう命じた。かくてハンニバルはハスドルバルが敗北したことを知った。
___ルイ・ブロラ『マルセーユの関税』(1869)
ボルヘス怪奇譚集(柳瀬尚紀訳)晶文社. p.136.
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【おはよう】
何から何までそうなるなら そうならそうで何をしようか
あなたがただ ここに生きてる
変わらないのか 変わり出すのか
変わり出すのか あなたの心理学(Psychology)
心理学/オリジナル・ラブ
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…先生は、ちょっと待ってくださいと手振りで言い、いったん自室に戻ると、粗悪な画仙紙で刷った小冊子を持ち出してきた。『中佛簡易単語対照辞典』。先生が開いてくれた頁をのぞくと、そこには時間に関する副詞がいくつか列挙してあり、驚いたことに、《以前》に対応する単語としてはたったひとつ、《AUPARAVANT》だけが記載されていたのである。紆余曲折を経てフランスに落ち着いた中国人共同体に流通しているらしいこの小冊子が、クイズ番組で堂々と笑い話にされる紋切り型の源だったのだろうか。ぺなぺなしたそのみすぼらしい本の、黄ばんだ頁を何度も確かめながら、な…[全文を見る]
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その数日後、宿舎のテレビで、なにをしゃべっているのだか私の語学力では半分もわからないバラエティ番組を眺めていたときのことだった。わが国でいう連想ゲームのコーナーがあり、何番目かの問題でチームリーダーが、自信ありげにひとこと、意図的に母音を強調した甲高い声で、《おぱらばん》というヒントを出した。すると回答者が、間髪を入れず「中国人!」と叫んだのである。なるほどフランス人の誰もがあの口癖に気づいているのだなと感心する一方、アジアの同胞を小馬鹿にしたような出演者の表情二、嫌な思いを味わったものである。さらに何日かして、仕事帰りに廊下で先生に会ったとき、私はその無意識の差別とも呼ぶべき番組の話は伏せたままメモを取りだし、なぜあなたがたは過去の時間を喚起するとき、いつも同じ副詞を使われるのか、どこでフランス語を勉強されたのかと、たぶんそんな意味になる順序で漢字を並べて彼に見せた。…
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彼はまず、こちらの国籍を確かめもせずに、以前、東京へ行ったことがある、とフランス語で言おうとした。言おうとした、としか書けないのは、《以前》に相当するフランス語を思い出すのに、彼がたっぷり10分以上の時間をついやしたからである。顔を真っ赤にして、声にならぬ声を漏らしながら熟考した末に出てきたのは、くだけた日常会話ではあまり使われない《AUPARAVANT》という単語であった。片仮名に変換すれば《オパラヴァン》と表記しうるこの副詞は、ふたつの行為の時間差をはっきり示すために用いられる、どちらかといえば丁寧な言葉で、私は宿舎に滞在している中…[全文を見る]
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佐野元春「SOMEDAY」@YouTubeに対するコメント。
10年ぐらい昔、TVの5分番組のインタビュー。
ファンからの質問 人生には嫌なこともたくさんありますよね。 佐野さんは、つらいことや悲しいことを歌にしませんね。 わざと避けているんですか?
佐野の答え そのとおり。 僕は、僕の歌をきいてくれるみんなを元気にしたいんだ。 だから、つらい歌は歌わない。 そして、僕は、これからもうそをつき続けるんだ。 みんなを元気にするために。
涙が止まらなかった。 10年も昔の、5分ぐらいの短い番組のインタビュー。 今も私の心に刺さったままだ。
涙が出てきて、止まらないです。 Upしてくれてありがとう! 当時、彼のコンサートチケットが手に入って、自殺をやめた子もいるという逸話もあるぐらいでした。
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この文章全体(引用部分ではない)でいう「戦争」とは、ひとつの曲の中で各々の楽器がそれぞれのリズムを刻んでいるので、その状態を指します。アフリカ音楽に多いです。人によってはこれで踊るのかと訝ります。それが一般的であるとも思います。
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大好きな文章なので再掲。
こんなことは言うのもアホらしいが、愛と平和の名の下に実際の戦争に反対するとか、或いは逆に国家に対する誇りと自信を獲得しようという考えから実際の戦争に賛成するとか、そろそろ戦争が来るぞと平和ボケの大衆に警鐘を鳴らすとか、実際に起こっている世界のどこかの戦争を見てお前らはどう思うんだと問いただすとかいうつもりはさらさら無い。
そういう人がいても全く構わないが、僕にとっては総て全くどうでもいい。というか、僕にとって戦争とはこうやって反対したり推進したりイデオロギーによってコントロール出来るものなどではなく…[全文を見る]
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こういう夜は、ねぎを刻むことにしている。こまかく、こまかく、ほんとうにこまかく。そうすれば、いくら泣いても自分を見失わずにすむのだ。ねぎの色、ねぎの形、ねぎの匂い。指先にしんなりするねぎの肌の感触。ねぎを刻みながら、また涙がおしよせてくる。目の前が浅い緑色ににじむ。私は泣きながらねぎを刻む。ごはんのスイッチをいれてねぎを刻み、おみそしるを作ってねぎを刻み、おとうふを切ってまたねぎを刻む。一心不乱に、まるでお祈りか何かのように。誰かに叱られたら改心できるのだろうか。私は改心したいのだろうか。なにを、どんなふうに。
小さな食卓を…[全文を見る]
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(・・・)じつはどんな人も長年なにがしかの奇形性を持ちながらえているのに違いないのだ。標準からはずれたものを持っていない人間などごくごく少数である。それならば、おおかたの人が自分の「存在のあわれ」を感じているのだろうか? もしそうならば、人は自身の中にある奇形性を、どのように見据えるのだろう? 目をそらすのか? 凝視するのか? こころよく思うのか? かなしく思うのか? それら全部をふくめて「あわれ」なのか? じつになんとも、わからないのである。
―「わからないことなど」より
ゆっくりさよならをとなえる. 川上弘美. 新潮文庫. p.201-202.
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今まででいちばんうれしかったことはなんだったかを決める(ずいぶん迷う)。
今まででいちばんかなしかったことはなんだったかを決める(すぐに決まる)。
今までで言ったさよならの中でいちばんしみじみしたさよならはどのさよならだったかを決める(決まったら心の中でゆっくりさよならをとなえる)
―「ゆっくりさよならをとなえる」より
ゆっくりさよならをとなえる. 川上弘美. 新潮文庫. p.218
/勝手に引用