5歳の野原に
少年をひとり
おきざりにしてきた
今も夢に見る
あれは
世界の果てまで
走って行くはずだった真昼
やけるような緑と
汗と言う名の夏が
身体にべったりはりついて
空には
付け黒子みたいな黒揚げ羽が
幾度も幾度も まばたきしていた
あの少年は私
今もあの青い日向で
世界の果てを見ている
吉野朔実『少年は荒野をめざす』
/勝手に引用
お話しするにはログインしてください。
5歳の野原に
少年をひとり
おきざりにしてきた
今も夢に見る
あれは
世界の果てまで
走って行くはずだった真昼
やけるような緑と
汗と言う名の夏が
身体にべったりはりついて
空には
付け黒子みたいな黒揚げ羽が
幾度も幾度も まばたきしていた
あの少年は私
今もあの青い日向で
世界の果てを見ている
吉野朔実『少年は荒野をめざす』
私たちに何ができるんだろう
途方に暮れたあの日
落ち込んでしまったあの日
哀しみに暮れたあの日
でも ふとお菓子を食べたこどもが ぱっと笑顔になった
おとなだって おとなになれないときがある
元気を出せないときがある
そんなときは おやつでも食べて欲しいな
そう思って 真っ赤なグリコワゴンは
東北へ向かったのでした
つらいときは つらいって言おう
励まして欲しいときは 励ましてって言おう
そばにいて欲しいときは
お願いだからそばにいてって言おう
おやつはあなたをちょっとだけ
包み込むものだと 信じているから
しまい込んだ心を 癒してくれると信じているから
気を張っている人を 甘やかしてくれるって信じているから
あなたの元に お菓子を 笑顔を 届けに行きます
新しい未来は 待ってちゃダメだ
ぼくらが 自分たちで 作ろう
(江崎グリコ 全面広告:3/11 朝日新聞朝刊 p. 35)
普段は忘れて過ごしているのだけれど、たとえば、駅から家までの道を自転車で走っているような、そんな日々のなにげない瞬間に、ふと、誰かに大切にしてもらった記憶が蘇ってくるのだった。
それは、とても小さな出来事だったりする。
……
親戚の家で熱を出したときに、冷たいタオルをおでこにのせてくれたおばさんのネギの匂いのする手、自転車で転んで泣いていたときに助けてくれた、お向いのお姉さんの優しい声。父や母だけでなく、外の世界の人々が幼いわたしをひょいっと気にかけてくれた。そんなたくさんの「大切にしてもらった成分」が、大人になったわたしには詰まっているんだ、だから、きっと、わたしは大丈夫なんだ! なにが大丈夫なのかはわからぬが…自転車をこぐ足取りが、ふいに軽やかになったりするのだった。
益田ミリ「オトナになった女子たちへ」 3/11 朝日新聞朝刊 p.34
――受け止めがたい現実、やり場のない怒りと悲しみ、そして限りのない絶望
――愛する人たちを思う気持ちがある限り、私たちの悲しみが消えることはないでしょう。
遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。
だから、涙を超えて強くなるしかありません
国主催の追悼式にて、遺族代表 奥田江利子さん (3/12朝日新聞朝刊)
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
(鴨長明)
「いつかは死ぬのだから」
死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
___超訳 ニーチェの言葉 051.
「疲れたらたっぷり眠れ」
自己嫌悪に陥ったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。
ギャンブル? 宗教? 流行のリラックス療法? ビタミン剤? 旅行? 飲酒?
そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。
目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。
___超訳 ニーチェの言葉 004.
自分に言ってるんだけどさ。
そう、私は興奮した。新しいスーツを買い、三つの短編をタイプで打ち直した。そして木曜日、きっかり七時に彼女の家のドアのところに立った。
私はいまでも、ウィラ・キャザーがクロテンのコートを着ていたこと、パーク・アヴェニューの高級アパートに住んでいたことを思い出すと驚きにとらわれる(彼女は、故郷ネブラスカ州、レッド・クラウドの静かな通りに住んでいるとばかり思っていたから)。アパートの部屋数は多くはなかったが、大きな部屋で彼女はそこに一生の伴侶となる、彼女と同じ背格好、年齢の、控えめで優美なイーディス・ルイスという女性と一緒に暮らして…[全文を見る]
私は仰天した。なんて馬鹿だったんだろう? 彼女の写真を寝室に持っていたではないか。まぎれもなく彼女はウィラ・キャザーだ! この雲ひとつない空のように青い目。ボブ・ヘア。しっかりしたあごの四角い顔。私は笑ったらいいのか、泣いたらいいのかわからなくなっていた。生きている人間でこんなに強い印象を与える者は他にいない――たとえガルボやガンジー、アインシュタインやチャーチル、スターリンに会ったとしてもこれほど強い印象を受けることはないだろう。こんな人間は他に誰もいない。彼女は明らかに私の動揺に気づいている。二人ともそのまま黙っていた。私…[全文を見る]
彼女は笑っていたが、栓を元に戻すまでその笑い声は聞こえなかった。「生涯でこれで二度目よ、死にかけてるって感じたの。もしかしたら三度目かもしれない。でも、こんどがいちばん現実味があった。荒海を乗り越えていくみたいな感じ。そして水平線のはじのところで向にすべり落ちちゃうの。頭の中で海のうなり声を聞きながら。その声って、実は自分がなんとか呼吸しようとしている音だと思うけど。いいえ」質問に答えて、彼女はいう。
「怖くはなかった。怖がっている余裕なんかないの。戦うのに忙しいから。その水平線の向うには行きたくなかった。これからだって絶対に…[全文を見る]
その後、なんとか彼女が命をとりとめたと聞き、私は彼女の病院に行き、見舞いの本を置いてこようとした。しかし、驚いたことに真っすぐに病室に通された。印象的だったのは病室の狭さだった。相部屋でこそなかったが、幅のない鉄のベッドと木の椅子がひとつあるだけの、閉所恐怖症を起こさせるような小部屋は、「銀幕の女王」が生きるか死ぬかの戦いをしている場としてはふさわしいところではなかった。
彼女が大きな試練を経験したことは確かだったが、それでも非常に元気だった。顔色は病院のベッドシーツより白く、化粧をしていない目は、泣いている子供のように、傷…[全文を見る]
人はだれしも、攻撃や破壊ヘやみくもに突っ走る残忍なけだものを心の辺縁につなぎとめ、飼いならしている。
だが、じつは血も涙もない、けだものの方こそ飼い主なのではないか。ひっそりと息を殺して、我々に好き放題させているが、不意に引き綱を思い切り引っ張って、思うがまま支配しようとする。
カポーティのノンフィクションノベルを原作としたこの映画は、米国カンザス州の農場主一家惨殺事件を題材にしている。二人組の犯人の一人は時に道徳を説く夢想家だが、突如、人が変わったようにショットガンをぶっ放し、家族4人を皆殺しにしてしまった。
劣等感にさいなまれたトラウマが、暴力の回路をつなぐショートカットになる。カポーティ自身もその衝動の絶対的支配に気づかされ、おののいていた。
__朝日新聞土曜版「be」青12/24、再読こんな時こんな本「『ワル』と呼ばれて」、見るなら 『冷血』
【おはよう】
ウォール街占拠運動を報告した大竹秀子「『私たちは99%』(世界12月号)」は「まるでのどかな村のよう」という声とともに、公園に現れた思想家スラヴォイ・ジジェクの「問題は宴の後。ふつうの暮らしに戻らなければならない時だ。そのとき、何かが変わっているか」というスピーチを伝える。
朝日新聞 2011.11.24. p.13 編集部が選ぶ注目の論考.
ランもアルタイも言葉に出さなくてもわかっていた。新しい街ができたらそこにもどればいいということを。彼らの世代が終わっても、あとに生まれた者たちがその街で暮らすだろうということを。それは頭でひねり出した考えではなく、体に蓄積された知識だった。ニンゲンのいる場所ならばかならず自分たちの街を築くことができる、そう過去の歴史が教えていた。彼らの生命力は逆境において強められ、生きる知恵は困難に直面するごとに倍増してきたのだった。キャンプの暮らしはその自負に支えられていた。
ソキョートーキョー(鼠京東京). 大竹昭子. ポプラ社. 2010. p. 245-246.
それを見て幸太の脳裏によみがえってきた光景があった。あるとき、お濠の隅に見慣れないものが浮いているので近寄って行くと、ネズミだった。30匹、いや50匹近くいたかもしれない。排水口にいたのが前日の雨で一気に押し出されたらしく、お濠の一角を埋めつくすほどの量が腹を上にむけて揺れていたのである。そんなにたくさんのネズミの死骸は見たことがなかった彼は、知人の災害現場を目の当たりにしたようなショックを受けて、しばらく身動きが取れなかった。
そのとき、災害で死ぬのは人間だけではないと思った。ネズミも洪水に見舞われたら大量死する。ちがいは彼ら…[全文を見る]
新聞配達のクスマは相変わらず仕事熱心だった。通りの向こうに彼の姿が見えると、心の中に灯がともったように明るくなる。決まった時間に決まったペースで届く彼の足音ほど、心をやすらがせるものはなかった。
「きみの足音を聞くと安心するよ」
そういうとクスマは、はにかんだように笑った。
「ぼくにはこれしかできないですから」
なんでもできると思っている人より、これしかできないと思っている人のほうが強いのかもしれない。彼の仕事は単純だし、なんの技術もいらないけれど、自分のやるべきことはこれだと信じて一心にそれを行なう。そのシンプルな情熱が人の心を明るくする。社会の不安がつのり、みんなの気持ちがささくれ立っているいまのような時期は、なおのこと彼のような存在が救いに思えた。
ソキョートーキョー(鼠京東京). 大竹昭子. ポプラ社. 2010. p.165-166.
「尾木さんは大学に行きましたか」
「行ったけど、君みたいに現実的に役に立つ学科じゃなかったな」
「なに科だったんですか」
「……哲学科さ」
幸太はこのことを話すとき、頭でっかちだった自分を告白しているような複雑な気持ちになる。専攻はインド哲学だったが、小さい時から実感している宗教観とかけ離れていて馴染めず、目的をはっきり定めたエリート学生が多い中で、群れからはぐれているような心細さを味わった。その気持ちは今もつづいていて、人並みに生きていけるのかという不安に押しつぶされそうになることがある。
広告制作会社には三年ほどいたが、勤めて…[全文を見る]
最初は<つらい月日も時が過ぎればなつかしい思い出に変わるのさ…>という流行歌のような意味だと思った。のど元過ぎれば熱さ忘れる、くらいの。でも「つらい日々さえも、いつか時間がその苦しさを忘れさせてくれる」のではなく、<憂しと見し世ぞ>__つらかったあの時代だからこそ、今は恋しく思えるのではないか。近ごろ、そんなふうに考え始めている。
佐藤真由美 『恋する言ノ葉』 p.170-172. (集英社文庫)
待つことを我は選びぬ夜の街に風と風との出会ふ音する(栗木京子)
…覚悟を持って<待つこと>を選ぶのが安易でも逃げでもないことを、掲出歌が教えてくれた。待っているとき、人はほかのことをしているように見えるかもしれない。何もしていないように見えるかもしれない。でも本当は、近づいてくるどんな小さな足音も聞き逃さないよう耳をすませているのだ。ざわめく夜の雑踏の中、<風と風との出会ふ音>を聞き分けてしまうくらいに。
佐藤真由美 『恋する言ノ葉』 p.157 (集英社文庫)
どんなに好きでも、人は誰かを所有できない。「わたしだけのあなた」にならないのなら、恋人が自分のたましいを半分持っていてくれたらいいのにね。心をささげるって、やっぱり少しエゴイスティックな行為。それを分かっているから、願うだけだ。<果実のように>受け取ってもらえたらいいのにと。
佐藤真由美 『恋する言ノ葉』 p.53 (集英社文庫)