フリーセックスは、一夫一婦制による性の罪悪視、男女差別、子どもの独占扶養で生じる出世主義から結局管理社会に奉仕してしまう点など、血縁を中心とする核家族制破壊が目的だが、これほどコミューン外の人間から誤解を受けやすい方式はない。
当然これを実行に移すには幾つもの技術や心構えがいる。
例えばツイン・オークスでは、外の世界で続いてきた男女間の役割や役割演技を完膚なきまでに剥ぎとるから、男は女をハントし、女は簡単に落ちないわよという演技、相互に相手の気をひくなど、相手の期待に添うためのお馴染みの馬鹿げた演技をせずにすむ。
こうして男女関係…[全文を見る]
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「てふ」「てふ」はチョーチョーと読むべからず。蝶の原音は「て・ふ」である。蝶の翼の空気をうつ感覚を音韻に写したものである。
―萩原朔太郎 『青猫』所収「恐ろしく憂鬱なる」の註
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そう、私は興奮した。新しいスーツを買い、三つの短編をタイプで打ち直した。そして木曜日、きっかり七時に彼女の家のドアのところに立った。
私はいまでも、ウィラ・キャザーがクロテンのコートを着ていたこと、パーク・アヴェニューの高級アパートに住んでいたことを思い出すと驚きにとらわれる(彼女は、故郷ネブラスカ州、レッド・クラウドの静かな通りに住んでいるとばかり思っていたから)。アパートの部屋数は多くはなかったが、大きな部屋で彼女はそこに一生の伴侶となる、彼女と同じ背格好、年齢の、控えめで優美なイーディス・ルイスという女性と一緒に暮らして…[全文を見る]
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私は仰天した。なんて馬鹿だったんだろう? 彼女の写真を寝室に持っていたではないか。まぎれもなく彼女はウィラ・キャザーだ! この雲ひとつない空のように青い目。ボブ・ヘア。しっかりしたあごの四角い顔。私は笑ったらいいのか、泣いたらいいのかわからなくなっていた。生きている人間でこんなに強い印象を与える者は他にいない――たとえガルボやガンジー、アインシュタインやチャーチル、スターリンに会ったとしてもこれほど強い印象を受けることはないだろう。こんな人間は他に誰もいない。彼女は明らかに私の動揺に気づいている。二人ともそのまま黙っていた。私…[全文を見る]
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彼女は笑っていたが、栓を元に戻すまでその笑い声は聞こえなかった。「生涯でこれで二度目よ、死にかけてるって感じたの。もしかしたら三度目かもしれない。でも、こんどがいちばん現実味があった。荒海を乗り越えていくみたいな感じ。そして水平線のはじのところで向にすべり落ちちゃうの。頭の中で海のうなり声を聞きながら。その声って、実は自分がなんとか呼吸しようとしている音だと思うけど。いいえ」質問に答えて、彼女はいう。
「怖くはなかった。怖がっている余裕なんかないの。戦うのに忙しいから。その水平線の向うには行きたくなかった。これからだって絶対に…[全文を見る]
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その後、なんとか彼女が命をとりとめたと聞き、私は彼女の病院に行き、見舞いの本を置いてこようとした。しかし、驚いたことに真っすぐに病室に通された。印象的だったのは病室の狭さだった。相部屋でこそなかったが、幅のない鉄のベッドと木の椅子がひとつあるだけの、閉所恐怖症を起こさせるような小部屋は、「銀幕の女王」が生きるか死ぬかの戦いをしている場としてはふさわしいところではなかった。
彼女が大きな試練を経験したことは確かだったが、それでも非常に元気だった。顔色は病院のベッドシーツより白く、化粧をしていない目は、泣いている子供のように、傷…[全文を見る]
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人はだれしも、攻撃や破壊ヘやみくもに突っ走る残忍なけだものを心の辺縁につなぎとめ、飼いならしている。
だが、じつは血も涙もない、けだものの方こそ飼い主なのではないか。ひっそりと息を殺して、我々に好き放題させているが、不意に引き綱を思い切り引っ張って、思うがまま支配しようとする。
カポーティのノンフィクションノベルを原作としたこの映画は、米国カンザス州の農場主一家惨殺事件を題材にしている。二人組の犯人の一人は時に道徳を説く夢想家だが、突如、人が変わったようにショットガンをぶっ放し、家族4人を皆殺しにしてしまった。
劣等感にさいなまれたトラウマが、暴力の回路をつなぐショートカットになる。カポーティ自身もその衝動の絶対的支配に気づかされ、おののいていた。
__朝日新聞土曜版「be」青12/24、再読こんな時こんな本「『ワル』と呼ばれて」、見るなら 『冷血』
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「私の読書録に「文学」というジャンル名はない。「私はこう思う」と言うために書かれたものは、すなわち「私は他の人々とはかくかくしかじかの点においてこう異なる」ということを述べるものでもあって、そこに何らかの他者批判性が含まれるのはもともと避けられない。ゆえに、いかにそれを読んでもらえるかは筆者の表現技術の磨かれ方にかかってくるわけで、その文章に研鑽や創意工夫のあるものには必ず文芸的味覚性が備わっている。つまりは随筆も評論も広義の「文学」なのである。」
「大長編を書けるのも確かに才能だろうとは思うけど、自分の書いたものの中に、余…[全文を見る]
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僕やっぱり、人のことを”指導”なんかしたくないんですよね。
僕の好きな映画で「細雪」っていうのがあって、その中で岸恵子さんが大阪弁で
「みんな、ええようになったら、ええなあ」っていうセリフがあるんですよね。
そういうのって、自分はなんにもしないで無責任みたいに聞こえるところって
あるかもしれないけど、愛情だと思うんですよね。
他人ていうものの存在認めちゃったら、そういう形で、距離をおくしかないでしょう?
だから僕は、「みんな、ええようになったら、ええなあ」としか言えないんですよね。
橋本治「青空人生相談所」ちくま文庫 P283-284
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「俺はよく、人間の耐えられる苦しみの量というのはどれぐらいなんだろうと考えたもんだ。人間の忍耐の限界というのはどこらへんにあるんだ? こんなにみじめでけがらわしい生活だっていうのに、一体どこまで苦しんだら人間は執着が消えるんだ? こんなふうに自分で自分に聞いては、俺はこのすさまじい悲惨に俺たちを耐えさせている不思議な力の正体を知りたいと思って長い間考えこんだ。他の場合だったらこの生活のほんのひとかけらでもとても“耐えられない”と思ったに違いないんだ。
この不思議が心理学なんかで説明できるとは思わないが、俺は自分のうちにおこったこ…[全文を見る]
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「劣等」から「劣等感」が生まれるのではありません。
「劣等感」から「劣等」が生まれるのです。
人間に客観的な劣等など存在しません。劣等感をもってはじめて、本当に劣等となってしまうのです。
自分に自信がもてないという人は、以下のことに注意してください。
「私は貧乏だから価値がない」と言うことは、世の中のすべての貧乏な人を侮辱することになります。
貧乏でも、明るく前向きに生きている人はたくさんいます。
自分の弱さを一般論にすりかえてごまかしてはいけません。
貧乏であることが恥ずかしいのではありません。貧乏を恥ずかしいと思うことが恥ずかし…[全文を見る]
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ま、なんだな。人間、欲を捨てたらオシマイよ。
アレもしたい、これも欲しいって、言ってるうちが花だって。
死ぬ時は、イヤでも捨てなきゃなんないんだからね。
生きてるうちから、死んだふりする必要はなかろう。
中村うさぎ『だって、欲しいんだもん!―借金女王のビンボー日記』
角川文庫,1999年,24頁
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【おはよう】
ウォール街占拠運動を報告した大竹秀子「『私たちは99%』(世界12月号)」は「まるでのどかな村のよう」という声とともに、公園に現れた思想家スラヴォイ・ジジェクの「問題は宴の後。ふつうの暮らしに戻らなければならない時だ。そのとき、何かが変わっているか」というスピーチを伝える。
朝日新聞 2011.11.24. p.13 編集部が選ぶ注目の論考.
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ランもアルタイも言葉に出さなくてもわかっていた。新しい街ができたらそこにもどればいいということを。彼らの世代が終わっても、あとに生まれた者たちがその街で暮らすだろうということを。それは頭でひねり出した考えではなく、体に蓄積された知識だった。ニンゲンのいる場所ならばかならず自分たちの街を築くことができる、そう過去の歴史が教えていた。彼らの生命力は逆境において強められ、生きる知恵は困難に直面するごとに倍増してきたのだった。キャンプの暮らしはその自負に支えられていた。
ソキョートーキョー(鼠京東京). 大竹昭子. ポプラ社. 2010. p. 245-246.
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それを見て幸太の脳裏によみがえってきた光景があった。あるとき、お濠の隅に見慣れないものが浮いているので近寄って行くと、ネズミだった。30匹、いや50匹近くいたかもしれない。排水口にいたのが前日の雨で一気に押し出されたらしく、お濠の一角を埋めつくすほどの量が腹を上にむけて揺れていたのである。そんなにたくさんのネズミの死骸は見たことがなかった彼は、知人の災害現場を目の当たりにしたようなショックを受けて、しばらく身動きが取れなかった。
そのとき、災害で死ぬのは人間だけではないと思った。ネズミも洪水に見舞われたら大量死する。ちがいは彼ら…[全文を見る]
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新聞配達のクスマは相変わらず仕事熱心だった。通りの向こうに彼の姿が見えると、心の中に灯がともったように明るくなる。決まった時間に決まったペースで届く彼の足音ほど、心をやすらがせるものはなかった。
「きみの足音を聞くと安心するよ」
そういうとクスマは、はにかんだように笑った。
「ぼくにはこれしかできないですから」
なんでもできると思っている人より、これしかできないと思っている人のほうが強いのかもしれない。彼の仕事は単純だし、なんの技術もいらないけれど、自分のやるべきことはこれだと信じて一心にそれを行なう。そのシンプルな情熱が人の心を明るくする。社会の不安がつのり、みんなの気持ちがささくれ立っているいまのような時期は、なおのこと彼のような存在が救いに思えた。
ソキョートーキョー(鼠京東京). 大竹昭子. ポプラ社. 2010. p.165-166.
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「尾木さんは大学に行きましたか」
「行ったけど、君みたいに現実的に役に立つ学科じゃなかったな」
「なに科だったんですか」
「……哲学科さ」
幸太はこのことを話すとき、頭でっかちだった自分を告白しているような複雑な気持ちになる。専攻はインド哲学だったが、小さい時から実感している宗教観とかけ離れていて馴染めず、目的をはっきり定めたエリート学生が多い中で、群れからはぐれているような心細さを味わった。その気持ちは今もつづいていて、人並みに生きていけるのかという不安に押しつぶされそうになることがある。
広告制作会社には三年ほどいたが、勤めて…[全文を見る]
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「誰でもよかった」と無差別殺人者は言う。自分の人生も、他人の人生も、どうなってもいいんだという、投げやりで不貞腐れた犯人像が浮かんでくる。
でも「誰でもよかった」というのは切羽詰まった言葉にもとれる。「誰でもいいから助けてください」と見ず知らずの人に言うのは、よほど困ってのことだろう。
昔は、親や兄弟に、小言を言われながらも頭を下げてお金を借りに行ったりしていたが、今は無人のATMにカードをつっこめば誰にでも貸してくれる。「誰にでも」という部分は、便利だが、少し寂しい気がする。
潤沢にある食べ物にも、同じような寂しさを感じる。山と盛られたバイキングの料理やスーパーに置いてある食品見ていると、なぜかうら悲しい気持ちになる。誰が食べてもいいというのは、つまり、誰のものでもない、ということだ。そのことが、私を寂しくさせる。
木皿泉「二度寝で番茶」より
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ベルマンは海を描いた大きな海図を買ってあった。
陸地は寸土たりとも記されてない。
だれにでもわかる海図だと知ったときには
乗組員一同ことのほか喜んだ。

―ルイス・キャロル『スナーク狩り』第二章 沢崎順之助訳
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最初は<つらい月日も時が過ぎればなつかしい思い出に変わるのさ…>という流行歌のような意味だと思った。のど元過ぎれば熱さ忘れる、くらいの。でも「つらい日々さえも、いつか時間がその苦しさを忘れさせてくれる」のではなく、<憂しと見し世ぞ>__つらかったあの時代だからこそ、今は恋しく思えるのではないか。近ごろ、そんなふうに考え始めている。
佐藤真由美 『恋する言ノ葉』 p.170-172. (集英社文庫)
/勝手に引用