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Tips:スクワットは、回数を急に増やすと膝を痛める。調子を見ながら少しずつやってみよう。
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魏志倭人伝のことを語る

事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治国
(卑弥呼は)鬼道を行い、よく衆をとらえた。年すでに長大なるも夫壻無し。男弟が有り、治国を佐けた。
…鬼道について。東夷伝では中国との比較から諸国の政治や風俗を評価する記事が続く。「鬼道」の内容はいろいろに考えられるが、ここでは「中国の王者と同様に、君主の任務として祭祀を絶やさず行っている」ということを言おうとしている。

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(中略)其国本亦以男子為王住七八十年倭国乱相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑弥呼
その国は本々やはり男子を以て王としていたが、住七八十年、倭国は乱れ、攻伐しあい、年を歴て、のちに一女子を共立して王とした。名を卑弥呼という。
…「住七八十年」というところが何の期間を示しているのか分かりにくいが、後漢の永初元年(107年)に倭国王が献見したという前代の事件を承けているのだろうか。接続詞の「乃」の字は「即」と違い、前段と後段の結びつきが直接的でない。他の事実とも考え合わせて、「乱」と「共立」の間にいくらか期間があったろうことは別の機会に述べた。

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(中略)国国有市交易有無使大倭監之自女王国以北特置一大率検察諸国諸国畏憚之常治伊都国於国中有如刺史
国々に市が有り、有無を交易する。大倭にこれを監(監督)させる。女王国より以北には、特に一(ひとり)の大率(大帥に同じ)を置き、諸国を検察する。諸国、これを畏憚する。伊都国に常治し、国中において刺史の如く有る。
…「大倭」が意味が分かりにくいが、文法を間違えなければそれほど解釈の幅はないはずだ。

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(中略)其会同坐起父子男女無別人性嗜酒見大人所敬但搏手以当跪拝其人寿考或百年或八九十年其俗国大人皆四五婦下戸或二三婦
その会同坐起に父子男女の別無し。人性、酒を嗜む。大人を敬う所を見るに、ただ搏手を以て跪拝に当てる。その人の寿考、或るは百年、或るは八~九十年。その俗、国の大人は皆四~五婦、下戸も或るは二~三婦。
…「考」の字はもともと「腰が曲がった老人」を表す。「寿考」は長生きの老人。長老には百歳や八~九十歳の人もいた。
…「国の大人は皆四~五婦」云々は、漢人社会の婚姻観念でもって倭人社会の風習を見誤ったおそれもあり、注意を要する。

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(中略)自女王国以北其戸数道里可得略載其余旁国遠絶不可得詳
女王国より以北は、その戸数・道里を略載しえたが、その余の旁国は遠絶にして詳しきを得られない。
…ここで「遠絶」としているのは、大陸内部にいる魏志(或いは原資料)編纂者の立場から言っている。こういう執筆者の生の声が地の文に混入しているのは、三国志の中でも異例ではないかと思う。これは直接的には旁国についてだが、間接的には「倭人に関する情報全体が不足している」という不満を述べたものと捉えてもよいのではないだろうか。

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(中略)南至投馬国水行二十日(中略)南至邪馬壱国女王之所都水行十日陸行一月
南、投馬国に至る、水行二十日。…南、邪馬臺国、女王の都する所に至る、水行十日陸行一月。
…目的地に大体いつも決まった時間で着くと思うのは、交通機関が発達した現代人の感覚であって、ここの日数を距離に換算するのは無理である。もし水害にでも遭えば長く足止めを喰らうこともありそうに思う。道を急いだとは限らないので、他にいろいろな事情で長引くこともあったろう。なお「水行」には海だけでなく川の通行も含まれうる。近世でも川は移動や運輸に活用されていた。ここの記述は畿内説の有利にはならない。

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(中略)
東南陸行五百里到伊都国
(末廬国から)東南に陸行する、五百里、伊都国に到る。
…厳密にどの地点からどの地点へなのかは分からないが、どこにしても松浦から怡土へは、直線で結べば東か北東の方向で、東南とあるのは実際の地理に合わない。しかしここでは陸行と明記されているから、路程はまず東南に向かい、どこかで北東に曲がったことは想像できる。編集時に情報の取捨選択をした結果として理解しにくい表現になったものだろうか。

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始度一海千余里至対海国
初めて一海を度(渡)る、千余里、対海国に至る。
…「対海国」は紹興本は「對馬國」、慶元本(紹熙本)は「對海國」に作る。海は馬の誤写と解説するものもあるが、海の上古音は学研漢和大辞典によると m̥əg なので、上古音であてられたとすれば誤写と考える必要はない。余ほど古くから倭漢の間の交通の要衝として名が知られ、漢字があてられていたものと思う。

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どう見ても原文は難しくないのに、江戸時代以来学者の何人かが変な読み方をしたせいでわざわざ謎を増やしたと思う。

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従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里
郡より倭に至るには、海岸にそって水行し、韓国を歴、乍南乍東、其の北岸、狗邪韓国に到る、七千余里。
…狗邪韓国(弁辰狗邪国)は半島の南海岸に在るので、「其北岸」という表現が現代語からは理解しにくく、問題となる。ここは海を中心に置いて海岸に方位を付ける語法として見ると読みやすい。つまり「其の」は前文の「大海」を指しているのであり、「帯方東南の大海の北の岸」と理解する。

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旧百余国漢時有朝見者今使訳所通三十国
もと百余国、漢の時、朝見する者が有った。今、使訳が通う所三十国。
…この部分は、前史にあたる「漢書」に「分為百余国以歳時来献見云」とあるのを承ける。

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倭人在帯方東南大海之中依山島為国邑
倭人は帯方東南の大海の中に在り、山島に依って国邑を為す。
…東夷伝全体を読むと、帯方郡では韓地を広い意味で「帯方地方」のように捉えていた節が有り、そう見てよければ「帯方東南の大海の中」という表現が理解しやすい。