今日は、エリス姫のモデルって何人お話ししましたかしら、みたいな
>降伏条件の一つとして彼女は侵略者であるモーリア王と二人だけで三日三晩すごす辱めを受けた。美貌の女公爵が解放されたのは、国王側近がレント共和国へ一日でも早く進軍しなければならないと王を急かしたからであって、公国軍兵士たちの救出の故ではない。
とりあえず、西洋歴史すきーなら、このネタ元がすぐ、悪名高きチェーザレ・ボルジアとカテリーナ・スフォルツァだとお察しのこととおもいます
えーと、あと、その他のイメージモデルはカトリーヌ・ド・メディチ、イザベッラ・デステ、仲のいい兄…[全文を見る]
今日はこのネタを
>アレクサンドル・デリーゼの記した書物『歓びの野は死の色す』でこの国に地下道があることは広く知られている。そこには、古神殿と通じる道は「君主の執務室」にあると書かれていた。しかしながら現実は、北向きのこの「宰相の次の間」にあるのであった。
作中内作者の虚構作品のウソを、その世界観のなかで暴いていく
ていうのがやりたくてやりたくてやりたくてw
今までも、このアレクサンドル・デリーゼというひとの書いた『歓びの野は死の色す』のウソとゲンジツの差異を少しずつ日のもとに晒してきましたが、これがいちばんキモチヨカッタ―
秘密…[全文を見る]
今日はこちらを!
>この先、わたしたちが鳥首国の正式な外交使節であることが保障されるかどうかもわかりません。
鳥首国とは当然のこと日本をモデルにしておりまする
何度もくりかえしますが、わたし的には日仏修好150周年記念小説のはずだったのですよ、このはなしw
でもって、橘卿(空木殿下)のモデルはこちら
徳川 昭武
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%98%AD%E6%AD%A6
ほんとに13歳でフランスいってます
というような感じで、当然のこと、澁澤栄一に相当するひともこの小説内世界にはいるんですが、サン・シモン主義について書くのを断念したので(なのでこないだ騒いでたw)、出ないまま終わるかもしれないです、残念!><
あの時代はやっぱりすごく面白いし個人的に思い入れのあるひとたちや場所でもあるので、どんな形になろうと、いつか書けたら書きたいです
今日はこれです!
>《夜》を目前に、古神殿に引きこもったままの僕には、世間の情報はなにも入ってこない。集中のため、外出はおろか連載小説の続きが気になって仕方がない新聞でさえ差し押さえられているのだから!
新聞小説
http://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%81%9E%E5%B0%8F%E8%AA%AC
「かくしてオノレ・ド・バルザックは、不本意ながらも、初の本格的新聞小説家となる。アレクサンドル・デュマ(父〈ペール〉)が書いて多くの読者を獲得した波瀾万丈の物語、『三銃士』(1844年)、『モンテ=クリスト伯』(1841〜45年)は共に新聞小説として発表された。その『モンテ=…[全文を見る]
30枚予定原稿のいま、27枚だという、きょう締切なのに! ていう磯崎愛ですこんばんはw
さて、今日はこのへん
>「なかなか手厳しいね。じゃあ、その帝都学士院へと送ったのは、モーリア王への口利きをした返礼として《至高神》の枢機官から受け取ったものの写しのほうだと言ったら?」
「そのくらいは他の誰もがすることです」
誰もがしてるのか!?
て、昔読んだときにおもいましたw
これ、何で読んだのか忘れましたが、ていうか、ちょくちょく中世もの等よんでると、この、すり替えって行われたようなことが書いてあって、今のように複製技術のない時代、やっ…[全文を見る]
今日も引き続き、このへんいきましょか
サロン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3
「17世紀初めのランブイエ侯夫人(1588-1665年)en:Catherine de Vivonne, marquise de Rambouilletのサロンがはしりといわれる。ローマ駐在の外交官の娘として生まれ、イタリアの洗練された宮廷に親しんだ後、フランスに帰国した夫人にとって、アンリ4世の宮廷は非常に粗野なものと感じられた。」
主役はもちろん、女性です
いわゆる才女、プレシューズと呼ばれるご婦人方でございますな
一般的にサロンというのはランブイエ侯爵夫人にはじまるわけですが、
フランスにおいてはアリエノール・ダキテーヌなどの例もあり、イタリアルネサンス期のイザベラ・デステなどもあわせてある程度の富と平和を確保できた場所で生まれてくるものであろうと考えています
今日はこのへん?
>辞書くらい引け。貴様のいる部屋にはオレ様が精魂込めて編纂してやったモーリア学士院辞書があるだろ」
モーリア王国のモデルはフランス王国なわけで、つまりこれ、フランス学士院ですなw
フランス語の成立というか、フランス王国の成立というか(いまこれ、シュジェールについて書いてるのでなんかもう、アタマぐしゃぐしゃなんだけどw ていうか、リュシリューのせいでシュジェールは有名になったんですって、ていわれると、ああああ、て腑に落ちるよね色々と)、
ええと、つまり、アカデミーの「フランス語の純化」とフランス王国の征服の歴史、…[全文を見る]
今日もグダグダなことを
ていうか、ええと、
ようやくでてきたアレクサンドル一世猊下
いわゆる、作中内作者でございますな
このひとがいちばん書きやすいです、てへぺろ☆ 笑って誤魔化せばいいってものじゃないかもですが、でも、ほんとです
現代小説をよんでれば、たとえば筒井さんの小説なんかではべつにふっつーーに書き手の登場ってありますし、珍しくもなんともない趣向ですね
とはいえ、さいきんではその「書き手の不在」というか、物語が勝手に生成されることをよしとする(期待する?)書き手たちがいるようにおもいます(たとえば、ナントカえんじんやナントカき…[全文を見る]
今日はこれをいきましょか
>帝都の黄金宮殿から帰国してのち一生涯、黒衣に身をつつんだとされるこの女性のきわめて珍しい純白の半身像です。洞窟のような不可思議な背景と、陰影にとんでなお光暈をまとったお姿は女神そのひとと目されるもので、すこし凝った美術書などでは『顕現』ともよばれています。
モナ・リザ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6
が元ネタでする
わー、日本語ういきだけでもうおなかいっぱーい、みたいなw
世界一有名な絵画ですな
それから、
『顕現』というタイトルはもちろんのこと、ギュスターヴ・モローを意識しています
ぜんぜん絵画技法等はチガウものなんだけど、モローはルネサンスの影響が多大ですし、主題という点においてはまさにどんぴしゃなのでした
ええと、そうだ今日は、珍しく作品解説的なこともあわせて
《夜》から、時代が変わっています
エリス姫のいた時代というのはこの世界でいうと、盛期ルネサンス期と呼ばれる時代にあたります
《夜》の章はというと、19世紀に相当します
なにしろ、ガス灯が出てくる
ガス灯
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%81%AF
それからもちろん、
「レント風邪」と呼ばれるのはこちら
スペインかぜ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%81%9C
「スペインかぜは、記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザ…[全文を見る]
今日はこのへんでいきましょう!
>もう四年ほど前のあたしの誕生日に、サルヴァトーレが帝都の一区画をうつした地図をくれた。それは、鳥にでもならないと見ることができないくらい美しく、正確無比に完璧で、まるで魔法の手妻ようだった。
これは、
ダ・ヴィンチが描いたイーモラ市街の地図
をイメージしています
なんどでもくりかえしますが、死神トトことサルヴァトーレのもでるはレオ様でして、やりたいほうだい遊ばせてもらってます☆
今日もまた、ぐだぐだなことを
>まあよい。いつの世も、臆病者は長生きするものぞ。そなたは天下国家と寝るのがお似合いだ。われの夫のように、妻以外の女の腹の上で死ぬる運命にはない。
ちょっと、ここはおぼえておいていただけると嬉しいです
いちれんの大教母のせりふとともに
わたしはほんと、めんどくさい小説の書き方をしてるのかもしらんなあ、と思ったりするのですが、いや、でも、そのめんどくささが「御馳走」だとおもうタイプなので、こういう描きかたをしています
再読に耐える、のみならず再々読、くりかえし読むことを読者に要求する、ていうのがわたしの考える面白い小説のひとつの条件であると考えていて、いっけんすると物凄く不親切でとっつきが悪いようですが、入り込んでいただければ(いただければ!!!)、末永く楽しめる作品であるよう精一杯こころがけています
今日は、うーんと、このへんかな
アメリゴ・ヴェスプッチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%81
「アメリゴ・ヴェスプッチはフィレンツェ共和国のフィレンツェ南部のモンテフィオラッレ (Montefioralle) で生まれ、彼のおじに育てられた。 彼は、ロレンツォ・デ・メディチとその息子のジョヴァンニに仕えていた。1492年、スペイン、セビリアにあるメディチ銀行の支店に出向となった。」
歴史上では、アメリカの由来になったひとですね
メディチ家の支店長クラスのひとちの生活っていうのはいちど書いてみたいなあっておもってます
なんか、こう、メディチ家のロレンツォ豪華公っていえばみんな知ってるからごまかせないけど、そのおとりまきあたりは、わりと自由に楽しく書けるんじゃないかという妄想があるのでした
今日はどうしよっかなああ
このへんかなあ?
サレルノ大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%8E%E5%A4%A7%E5%AD%A6
「現存の世界の大学の中でボローニャ大学に次ぐ古い歴史を持ち、13世紀にはヴァチカンからストゥディウム・ゲネラーレの認定を受けている。ボローニャが法学を看板にしていたのに対して、サレルノは医学の大学で、今日の解剖学教室のような階段教室が当時から既にあったと考えられている。」
レオナルド・ダ・ヴィンチがメディチ家に冷遇されたのは解剖をおおっぴらにしたせいではないか(と、ある先生がおっしゃっていた)ていうくらい、当時の社会ではなかなか受け入れがたいものであったようですが、このおはなしの世界では太陽神殿のひとびとは是とし、女神の神殿のひとびとは嫌う、という設定です
今日は、ええと、そうだ!
今ごろなんですけど、わたし、円卓の騎士についてアーサー王物語ってこと以外、なにかいいましたでしょうか?
円卓の騎士
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%8D%93%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB
円卓の騎士団一覧表
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pen/5311/entaku-ichilan2.html
上にあるように、もちろんこの卓というのは十二使徒との関連があり、聖杯絡み、かつ魔法のものなんですが
聖杯は、あれですね、
聖杯伝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9D%AF%E4%BC%9D%E8%AA%AC
わたしってばオカルト大好きなので、聖杯探しに行きたいなあってこどものころに思ったものでした
このおはなしでは聖杯という語はあえて使わないですが(他で多用してるので)、
選ばれし者の探求モチーフとして用いています
今日はこのへんを
>「手を拭いてください。証拠品です」
「偽造でもされていると?」
「可能性はあるでしょう。俺なら、多少目利きが出来ますよ?」
古文書の偽造、ねつ造、はたまた偽書のはなしが大好きなわたしです!!!
なんていうか、図書館はもちろん、古文書館とか資料室みたいな閉じられたところが好き過ぎて困りますw
というか、今ごろきっと、ヴァチカンのみなさまは何百年ぶりだかのことに資料を血眼で探してたりするんじゃないのかなあ?
『ハレスはまた来る−偽書作家列伝』種村季弘 - an-pon雑記帳
http://d.hatena.ne.jp/yoneyumi0919/20111111/p2
再読したい
種村さん、大好き~
今日は、うーん、またジャンについて、かなあ
昨夜ここで↓、これからジャンが対決するアンリとのはなし、再掲してます
空が青いと君がいった日
http://h.hatena.ne.jp/florentine/225880270143244017
ジャンの名前をもらったのはジャン・ジュネだとお伝えしてますが、モデルのひとりはこのひとです
シュジェール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
シュジェールについては思い入れがありすぎて大変なのでしたw(シュジェールという名前のキャラが主役のシリーズがすでにある いろいろあって未発表ですが! いつ…[全文を見る]
今日はどうしよっかなあ
陰謀の末路、このへんかな?
パッツィ家の陰謀
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A3%E5%AE%B6%E3%81%AE%E9%99%B0%E8%AC%80
「陰謀に加担したパッツィ家の処刑の様子を、1478年にボッティチェッリが、フィレンツェの警察署と市庁舎の間の壁にフレスコ画で描いたが、1494年メディチ家のフィレンツェ追放と共に破壊された。芸術ミステリーを数多く執筆しているミステリー作家の深水黎一郎はこの絵を「残っていて欲しかった名画ベスト3・西洋篇」の第2位に挙げている(講談社『群像』2012年10月号)。
ダ・ヴィンチに…[全文を見る]
今日もぐだぐだなことを
エミールとその兄トマ、というか、エミールとジャンのはなしはもうずっとずっと書きたくて、ていうはなしはもうすでにしてるんですが、くりかえすと、エリスやヴジョー伯爵がわたしの頭のなかでただの「背景」だった時代にいたひとたちで、むろんこのジャンの名前をいただいたのは『聖ジュネ』だったりしますです
で、
彼ら二人を描くためには、中世キリスト教思想史がとりあえずでもいいから、ある程度あたまにはいってないとカッコがつかない的な感じで先延ばしにしていたりして
(あと神秘思想とか、シンクレティズムとか ヴァチカン機構そのも…[全文を見る]