ギャレットさん、あなたは、
わたしが何故あなたにこんなことをしたか、
おわかりですか?
それは、あなたが、ろくすっぽ読みもしないで、
ポーの作品を焼き棄てたからですよ。
あなたは、人が、ああいう本は焼き棄てなければいけない
というのをきいて、その勧告に従ったのだ。
そうでなければ、さっきわれわれがここに来たときに、
あなたは、もうわたしが何をしようとするのか分かったはずなんですね。
無知ってのは致命的ですよ、ギャレットさん。
レイ・ブラッドベリ 『火星年代記』 小笠原豊樹訳
http://blog.livedoor.jp/yanoanoa/archives/1528856.html
・・・…[全文を見る]
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勝手に引用のことを語る
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現実認知の繰り返しはファーストガンダムからと
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20071204/1196784396
結局、アムロという少年は求めれば求めるほど、ことごとく奪われる少年なのである。
運命とか世界とかによって。
だからこそ、視聴者はフラストレーションを解消するカタルシスをアムロに仮託できる。
また、富野喜幸の言うように、死んでいったものたち、戦争によって奪われたものたちの代弁者としての資格を得る。
そして、その奪われても奪われても求めつづける力が生命力となる!
あー、だから俺はトミノアニメが好きなんだなあ。
そういう、ガッカリして、満た…[全文を見る]
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「私の読書録に「文学」というジャンル名はない。「私はこう思う」と言うために書かれたものは、すなわち「私は他の人々とはかくかくしかじかの点においてこう異なる」ということを述べるものでもあって、そこに何らかの他者批判性が含まれるのはもともと避けられない。ゆえに、いかにそれを読んでもらえるかは筆者の表現技術の磨かれ方にかかってくるわけで、その文章に研鑽や創意工夫のあるものには必ず文芸的味覚性が備わっている。つまりは随筆も評論も広義の「文学」なのである。」
「大長編を書けるのも確かに才能だろうとは思うけど、自分の書いたものの中に、余…[全文を見る]
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こちらでもこんにちは!
じつはわたしもその「読み」で読みました。>苦いもの&マニフェスト
自身の蔵書に自作をいれようとしなかったボルヘスらしい言葉ですし、ほんとにこう「救われない」感ありありの、それこそゴンブローヴィッチだったかが「辛気臭い」と称した(ていうはなしだったと思うけど、何で読んだのかすら忘れましたーっ! 勘違いかもしれません でも、ゴンブローヴィッチなら言いそう! 笑)ボルヘスの真骨頂だと思うのですよ。
そういえば、50年たたない本は読まない(でしたっけ?)と言い切ったのもボルヘスですし、創作の態度、つまりマニフェ…[全文を見る]
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「えーと、もう、富野のリアルはリアルすぎてカッコよくないんだよ。
だってさー、あれですよ。普通、ファンはランバ・ラルを男の中の男だと思って燃えて見たいわけですよ。そこで、富野は「なるほど、イクサバカとはああ言う男の事か」とか入れちゃうの。で、ランバ・ラルは馬鹿扱いされてマ・クベの派閥争いの間で補給を断たれて死ぬの。ふざけてるのか!
ギレン・ザビの演説とかもファンはカッコ良いと思って見てるわけですよ。ジークジオン!って叫びたいわけよ。
でもね、富野演出としては「ガルマの国葬演説は全世界に向けて放送したギレンが、ア・バオア・クーでは自…[全文を見る]
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「私は作品を書くとき、読者のことは考えません(読者は架空の存在だからです)。また、私自身のことも考えません(恐らく、私もまた架空の存在であるのでしょう)。私が考えるのは何を伝えようとしているかであり、それを損なわないよう最善を尽くすわけです。若い頃には、私も表現というものを信じていました。 」ボルヘス『ボルヘス、文学を語る―詩的なるものをめぐって』岩波書店
拙作『夢詩壷』(http://karakusaginga.blog76.fc2.com/archives.html#all20)という作品の冒頭部、主人公の一人称語りの途中、キャラ同士に、
「さっきからずっと、誰に話しかけてる…[全文を見る]
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「(略)布団にもぐりこんだ。別の子が、そこにいた。小さくて、細くて、とても冷たかった。暖かさを求めて別の子が体を擦り寄せてきたとき、自分はもう小さくない、とビンは思った。今のビンは、大きくて暖かい誰か、強くて、包容力があって、人を守ることのできる誰かなのだ。気分が浮き立つようなことだったが、身が引き締まるような思いもした」ジーン・ウルフ「風来」より
いっぱんに、たいへんに難解だと評される小説を書くジーン・ウルフではある。だがわたしは好きだ。大好きだ。彼の小説はどこをどうとっても「フェア」で、また非常に「マッチョ」ではあるけれども、『新しい太陽の書』のセヴェリアンのいくつかの告白といい、この描写といい、「本を読む孤独な少年」であった自身を惜しげもなくさらし、いまもまだそうであるとその「小説」が語っている点で、どうしてもどうやっても嫌いにはなれない。
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「芸術のコミュニケーションは、知性ばかりでなく、感性をもふくんでいますから、知識ばかりでなく感動もあたえ、人格の全部を動かします。その点で、あらゆる人間のコミュニケーションのなかで、もっとも複雑で、もっとも深く、もっとも総合的なものだといえるでしょう。そのうえ、たとえそこに描かれた思想や信仰が今は滅びてしまい、意味を失ってしまっているとしても、絵は残ります。絵の生命は死ぬことはなく、古びることもなく、それを人が見て美しいと思うかぎりつねに現在です。それこそが芸術のほんとうの力なのです」 若桑みどり『 イメージを読む―美術史入門 』…[全文を見る]
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「20世紀は二人の偉大なルネッサンス人を生み出した。アントナン・アルトーとジャン・ジュネである。」
http://www.gendaishicho.co.jp/news/n2555.html
連投。
嗚呼!
鈴木創士さんからこの言葉を聴けたら本望!
(じぶんでも舞い上がっててよくわけわからんですよ。素敵な言葉も頂戴したし、今日はとても好い日です☆)
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「ラブレー先生は、フローベールとはちがって『わたしが生きているかぎり、自著に挿絵は入れさせません。(中略)絵があると、観念がそこで閉じられてしまいますから」という証言を残してはいないので、挿絵も、少しだけ入れさせてもらった。」
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル 1』宮下志朗訳 解説より
「ただし、底本とした」、「同時代のものだけに限定した」と続く。
わたしはたいそう意地が悪いので(そうでもないか。これがフツーだよね? ていうか、礼儀?)、渡辺一夫訳と並べて読んでるんですが、いや流石、宮下先生! モンテーニュの書棚にミ…[全文を見る]
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「ラトロは理(ラティオ)と情(アフェクトゥス)はたがいに切り離すことができないと言い――正確を期すると《in ratione habere aliquem locum affectus》〔理にはその一部に情念が含まれている〕――また、理が先走ってしまったため、情はそれにぶらさがっているとも言い、最終的には「理にかなった思考はおそらく、より情の深いものから作られたものだ」とも言った。」
パスカル・キニャール『アプロネニア・アウィティアの柘植の板』「理性」より抜粋。
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わたしは、身も蓋もないことを言いまくるひとが好きだ。大好きだ。
パスカル・…[全文を見る]
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以下、再掲です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・http://h.hatena.ne.jp/florentine/9234099945426207836
「私たちは死んでいくものの疲労については想像が及ぶが、そのはてしない消耗には、読む側の消耗なしにはつきあっていけない。
しかし、マイノリティとしての死者の発信する言葉とは、消耗の言語に他ならないのではないか」
「私たちはいつのまにか死者は静かに死んでいくものだと思いこむようになっている。しかし、これは生きているマジョリティの独断と偏見にすぎないのではないだろうか。マイノリティの言葉を遮断して生きていこうという衛…[全文を見る]
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Jean Genet · Violence et brutalité
http://etoilerouge.chez-alice.fr/docrevinter/allemagne9.html
『公然たる敵』(月曜社)の「暴力と蛮行」の原文。
まだ原文全部ちゃんとは読んでなくて最初と最後のパラグラフのみ確認というチョーいい加減であやしいチェックですが(をいをいっw)、翻訳の冒頭の一文を読むだけで何というか、凄まじく真理ついちゃってるジュネの本領が発揮されまくってると思われたのでご紹介。
「ジャーナリストたちは目くらましさながら次から次へと言葉を撒き散らすばかりで、それらの言葉を意識のなかでじっくりと萌芽させていくことに…[全文を見る]
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何度でも、なんどでも、再掲するよ!
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『同じ時のなかで』 スーザン・ソンタグ 著
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001997#
言葉たちの良心――エルサレム賞受賞スピーチ
「私たち作家は、言葉に心を砕く。言葉は意味をもち、言葉は指し示す。言葉は矢である。現実を覆う肌理の粗い皮膜に突き刺さった矢だ」
「作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や誤った情報の共犯者になるのを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗するニュアンスと矛盾の住処である。作家の職務…[全文を見る]
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うい、まだーむ☆
この女性はまさに理想と呼ぶに相応しく、もっとも美しい日本女性といって過言ではないと思います。
この絵、ほんとにほんとに大好きです!
なんども見にいってます。
憧憬のため息とともに背筋が伸びます。
『高野聖』の女性(にょしょう)は複雑な性格を与えられた稀有な存在で、
この女性のように凛とした一面も確かに持っていると感じます。
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「優しいなかに強みのある、気軽に見えても何処にか落着のある、馴々しくて犯し易からぬ品の可い、如何なることにもいざとなれば驚くに足らぬという身に応のあるといったような風の婦人」
泉鏡花『高野聖』より
これ、 初めて読んだミドルティーンのときからずっと、わたしの「理想の女(ひと)」(日本版)だったりする。
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「あなたは私を幸福にしてくれました。誰もあなたほどそれをうまくやることはできなかったでしょう。どうか、私の言葉をしんじてください」――ヴァージニア・ウルフ
それを知るひとにとってはあまりにも知られすぎた言葉のように思うので書き手の名を秘そうと考えたりしたが、いちお。
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髑髏のこと、など
http://www.gendaishicho.co.jp/news/n1912.html
「アステカの謎めいたオブジェである水晶でできた髑髏を偏愛していたらしい彫刻家のジャコメッティは、髑髏は物体のなかで最も生きているものに近いというようなことを言っていたが、それは髑髏には眼差しがあるからであるらしい。シャレコウベの眼窩はただの空洞であり、なにものかの不在のかたちである。徹底的な不在。不在のなかに穿たれた現前の跡ではなく、むしろ際限なく顕在化することしかできない不在。このなにもないところに強度の眼差しがあるのだ」
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西行ネタもありーの、カバラねたもありーの(この単語ふたつで「ゴーレム!」とぴんとキちゃうわたしw)、まいどまいど鈴木創士さんカッコイイです。
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この世界には、唯一つの学芸があるだけであり、それは素描、もしよければ絵画と呼ぶべきもので、他の一切のものは、その源流から派生する支流のようなものである。注意深く考えてみると、人は誰しもこの世界を描きつつ、あるいは創造しつつあり、たとえば家屋を造る、耕作する、航海する、戦争するというような一切の操作や運動や行為は、すべて大きな意味における絵画であり、絵画こそその源流、他のすべてのものは、彫刻でも建築でも、ことごとくその源流から派生する支流のようなものである ――ミケランジェロ・ブォナローティ
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パスカル・キニャール『舌の先まで出かかった名前』
「メドゥーサについての小論」から。
「わたしは書きたいから書くのではない、習慣によって書くのでも、意思によって書くのでも、仕事だから書くのでもない。わたしは生き延びるために書いてきた。口を閉ざして語ることのできる唯一の方法だから書いてきた」
「個人的に言えば、わたしが書くことを通じて求めているのは失神状態だ。書いているさなかに、わたし自身によってわたし自身を反省的に把握するあらゆる意識から離脱できる可能性だ。自分が不在だった時に至るまで離脱することだ。わたしが生成した場所へと離脱することだ。それは竈だ。あるいは謎だ」
「つまりは死ぬために一心不乱になってさかのぼる源だ。(略)書くこと、それは産卵することだ。(略)それがあの泡だ。アフロディテだ」
「書く人は光源(イリュミナシオン)を求めている」
/勝手に引用