邦題『ブラックバード、ブラックベリー、私は私』というジョージア🇬🇪を舞台にした映画を観た。
ジョージア🇬🇪のことはよく知らないしその田舎町の48歳の独身女性が主役。お節介な友達やらちょっとしたロマンスやら。しかし殆どノーメイクでセットも簡素で素朴なありのままの映画。
内容はネタバレがないように書かないが、1月3日から有楽町や吉祥寺で公開されるらしい。あと主な地方都市でも。
大阪だったら第七藝で公開されるらしい。大きい画面で観たかった。
気になったのはカフェで食べるふわふわの何重にも薄い生地が重なったパイのようなパンのようなお菓子。
色々調べたけど出てこない。
ジョージア🇬🇪って松屋のメニューの鶏クリーム煮込み的料理があるのでは。
結局映画観ても食べることしか考えてない。
お節に手をつけ始めた。どう考えても一人分ではない量ができあがっていく。
松の内は料理しなくてすんでしまいそう…
おはよう!
今朝はちょっと寝坊したらどんどん仕事が後ろに回ってきて停滞中。
掃除機をかけるが残っている。
赤ビーツを茹でていたのを忘れてた。冷蔵庫から発掘。
赤ビーツのサラダを作った。手間がかかってぐったりする。
スマートにさらさら動ける人になりたい。不器用過ぎる。
天気も悪いし映画の続きを見終わるのが目標。
よい1日を。
おはよう御座います、いっとく的に
星野源の「地獄でなぜ悪い」は羽生結弦の好きな楽曲なのですが、
「光の跡」が金沢の景色を歌ったというのだから、
石川さゆりが「能登半島」歌唱するのなら
それ唄えばいんじゃね?
去年謳ったからなしなのかな
働きます
皆様よい日をお過ごしください
《Season 23・#02 SP》
・政治家のパーティーのために手薄になった警備。そこを突かれた都知事を含む無差別殺傷。事件で負傷し退職に追い込まれた同期の恨みで当時の閣僚を狙う。現実に起きたことを踏まえつつ、動機としては繋がる。
・総理襲撃実行は闇バイト。敗北必至の選挙を巻き返すために総理を囮にした舞台回し。口調と引退に追い込まれるところまで二階俊博。
《Season 23・#01 SP》
・明治七年と字幕出しつつ震災と疫病とナレーションなので現代のような警視庁の歴史編纂命令が特命係に。
・高田創巡査、わからなかったがかつて無戸籍だった少年。半グレの隠れ家に無鉄砲な潜入かと思いきや立ち回って大手柄!
・幹事長はでんでん。甲斐峯秋の知人の政治家刺殺、裏金絡みで不人気総理に爆弾テロ。流石に現実の後追いが多すぎねぇか?
ボンヂーア
阿部公房『箱男』、なんとなく映画を見る前に買って読み始め、昨日ようやく、ほうほうのていで、無理やり読み終えました。巻末の評論家による解説を読んでようやく整理できてきたようなそうでもないような。原作と映画ではテーマが多少違ってるのかな…読み返し、見返したら違うかもしれないけどそこまでするかというと??文学難しいな~
しばらく離れてるので簿記の復習したくて、
Youtubeでとりあえず3級試験対策のシリーズを寝落ちしつつがんばって見てるけど、私が取った時(7年くらい前か?)とは出題範囲とかもうけっこう変わってて、あー見て良かった…となってる。
しかし3級はともかく2級はもう完全に忘れてて自信がない。特に工業簿記
勉強大嫌いだし途中挫折するかもしれないが今後の転職活動に備えて復習がんばりたい。せめて3級くらいは自信持ってできるようにするぞー
今日は早めにお布団に移動します。
テキトーに何か読みながら寝落ちします。
明日から必死のパッチで仕事します。
おやすみなさいませませ~
「好きなものとの、適切で、持続可能な、社会との折り合いをつけた、距離感」
「推しが、欠点のある人なこと それを受容しながらファンでいるには?」
…のこと ずっと考えてる
繰り返し、まとまらないままブログに書き留めてるけど、長くなるから、またブログに書いたほうがいいな
この歳になると何度もガッカリした経験てあって、
「いやでも、ガッカリするのも私が勝手に思い入れて、勝手に裏切られたと思ってるんだよな 自分の感情には自分で責任持たなきゃな」というのを何度かやってきて
あとショック受けてもちゃんと回復はできる…も経験してきて
「何かに人生を、あるとき仮託すること、支えてもらうことがあっても、やっぱり主役は自分しかいない
誰もが『自分推し』に帰るんだ」の思いがあります
これがないと生きていけない! と思ってたもの たいてい失っても生きていけてる うまく言えないけど
(承前)
それは何か表現するわけじゃないファンでも、そうじゃないかなって 好きである自分を客観視する余白を持つ
私を見て、ファンではない人が、その対象についてどう思うか? と見回す視点
ファンアート描くような人間が何言ってんだ、と思われてしまうかもしれないけど
絵描くのって多少 対象と距離取らないと全体見えない 例えばデッサン狂いに気づけない
何かとんでもない物を描いてることを自覚できない というのがあって
ひと呼吸置く、離れてみる て大事なことだと思ってて
めも
ファンダムもこの今の世界の、社会の一部であって選ばれた特殊な集まりじゃ無いってこと忘れたくない
私も興味なんかない、どうでもよかったころ、好きになる前だったころが、あったこと
そしてこれから何かあればファンやめるかもな、やめるのも自分で決めて自由に出来ることだ
そういう「覚めた」部分を頭の中に持つこと
何かを熱心に布教されるとノルマというか重荷に感じて 逆に遠ざけてしまうタイプなので たまにポロッと「いいぞ…」が漏れ聞こえてくるくらいの方に興味持つ
何より「楽しんでる背中を見せる」だけなのが、じわじわだけど効果あると思った