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Tips:引用記法:>>(大なりを二つ)で始まる行は引用文として扱われる。
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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 礼拝堂にいたのは宰相だけではなかった。
 その御付がふたりと、そして、侍女に付き添われた母がいた。
 記憶にある限り、彼女の風貌は変わらない。褐色の髪を高々と結い上げて鮮やかな孔雀色の衣装に包まれたすらりとした肢体は、私より若い女性だといっても通用するだろう。
 そして、相対するとさらに若く、子供を生んだ女のようには決して見えないのだが、それは息子である私からはとてもではないが、口に出せることではなかった。
 彼女はゆっくりとした足取りでこちらへと進み、私を見あげた。いかにも気の強そうに斜めをむいた眉がただごとな…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 地下牢に押し込められた私に黒騎士たちは同情の視線をくれたが、ことばをかけるような愚かな真似はしなかった。
 鉄柵の閉まる音を背後に聞き、排泄物の臭いのする暗く湿った場所を見渡して、どこの城もこういう処は同じようなものだと息を吐いた。
 いや、拷問道具など置かれていない分、わが城のほうが剣呑だ。
 独房であることと枷を嵌められたわけではないこと、それだけでも随分と寛大な処置といえるだろう。
 エリス姫……。
 闇の支配者たる女神の娘。
 私は、オルフェ殿下が姫さまの行方を察しているに違いないと考えていた。
 万が一、そう…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 オルフェ殿下はあたしをまっすぐに見て、口にした。
「貴女は帝国の姫君で、この国は帝国領なのです。ぼくは貴女に抵抗できるだけの力がない。貴女の、というより、陛下のご意向はもっともなことです。くりかえしますが、エリスを女公爵にして、その夫に親帝国派で武勇を謳われる名門ヴジョー伯爵を迎えれば、帝国としては安心していられるでしょう」
 あたしは頷くこともしなかった。
 彼は自分が死ぬことで何もかもがうまくいくと考えている。ただし、それはエリスが無事でいてこそのことだ。
 あたしは月の君に信用されていない。《死神トト》を寄…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 あたしがオルフェ殿下の私室で向かい合って出した条件。
 それは、『殿下自らがエリスを救出する』ことだ。
 まさか彼女を救出した張本人がエリスを「売った」とは思わないだろうという仕掛けとともに、もうひとつ。
 あたしは、彼が自分の意志で動くところを見たかった。
 周囲の思惑に従うふりでただ甘やかされて生きてきた彼が、はたしてどこまでやれるのか。
 あたしにはそんな、ちょっと意地悪な気もあった。
 けど、こっちの思惑を裏切るようにオルフェ殿下はいざとなったら迷わなかった。
 日が落ちる前にと、いきなりあたしの手をひいた。…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 おれの足は動かなかった。
 狼藉の予感に指先が冷えた。なにか不機嫌があるときの彼は容赦なく、ただ啜り泣くだけの無力さを曝けだすときにひたすら怯えた。絖の艶やかな光沢や滑らかで快い感触は、苦痛と交じり合って記憶されていた。
 それでも、おれは何でもないような顔で返した。

 書きものを片付けるまでお待ちください。
 あの男への返事はわたしが代筆してやろう。
 けっこうです。
 そう云うな、恋人というより保護者のような書きぶりだが、そなたが心配するとおり、初花は他の男が散らしていったと教えてやればよかろう……

 そのことば…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 そうして黄金宮殿で暮らすようになってしばらくたった頃のことだ。
 書き物机のうえにあった手紙の束にその名のあるのを見つけ、月の君は声をたてずに笑った。
 手紙を隠す間もないことで、それはむろんこの部屋のほんとうの主が彼である証であり、またおれが自分の侍女たちを遠ざけられてしまったが故の不始末だった。
 実をいうと、彼がここをおとなうことがない日にもその耳に何もかもが入っていることだろうと、おれはすっかり諦めていた。
 月の君は、ルネのことを知っていた。
 帝都学士院の最優等生になりながら故郷に帰った奇特な青年という…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 子供のころ、おれが不安に思ったのは、眠っているあいだに死んだらどうしようということだった。
 どうするもこうするもないのだが、そんなふうに思い続けたことがある。
 《死の女神》の司るものにふさわしく、眠りと死はとてもよく似ていた。
 大教母のいうのには、それは東と西に背中合わせに顔をむけた双子のようなもので、片方には朝がきて、片方には闇が訪れるというただそれだけのことだった。
 おれはまさにそのとおりだと感じ、それゆえに恐ろしくなった。
 《死の女神》の娘なのだからそんなものを恐れずともいいだろうにと自身に憤りなが…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


「アレクサンドラ姫?」
「もしもあたしが戻らなければ、帝都へ使いを出すようヴジョー伯の母上に頼んできた。それから、あたしの配下もこの街を離れるよう指示してある」
「では、貴女を殺せば期せずしてこの国に帝国軍を呼び寄せられるということですか?」
 ぼくの問いかけに、彼女は微笑んだ。
「あたし一人の命はそんな重くない。さっきはああ言ったけど、あたしが死んだからって陛下が復讐のために兵を動かすことはない。でも、あたしがへまする程度にこの国は厄介だって証にはなるだろうし、この国を是が非でも守りたいと願うあなたの意志は陛下に伝わると…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 ぼくが微笑むと、赤毛の姫君は不審そうに眉をひそめた。
「話す前に、ひとつ、お願いがあるのですが」
「なに?」
「ぼくのような無能者を次期国主にいただかなければならなかったこの国の者たちを哀れと思い、ぼくの不手際は公表しないでほしいのです」
「それは、はなしを聞いてから判断するよ」
「では、お話いたしません」
 ぼくが拒否すると、姫君の剣が喉許へとうつった。
「あなたには拒絶する権利はない。あたしが帝国の姫と知れた今、あたしの言葉は陛下のそれと同じと考えるといい」
 ぼくはようやく望んでいた言葉を授けられて、抵抗をやめた。
 帝…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 表向き、アラン・ゾイゼはレント共和国との国境付近まで姫君を迎えにいったことになっている。
 けれど実際は、エリスを何処とも知れぬ場所へ拉致したのだ。
 ぼくの妻となる帝国の姫君は今、レント共和国に保護されている。
 報告では、盗賊たちは死んだものはあるが、捕らえられてはいないそうだ。けれど、当然のごとく追手はかけられた。
 姫君一行を救ったのは狩の最中の貴族で、共和国は帝国とこの国に思わぬ恩を売ったことになる。
 ぼくは、事の次第によっては『エリス姫誘拐犯』であるアラン・ゾイゼをルネに始末させるつもりだ。
 アランに野心が…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 ぼくはいったん城に戻って、態勢をととのえることにした。
 自室に引きこもり、卓上に地図を広げながら、自分の足下にルネが繋がれているかと思うとひそかな愉悦をおぼえた。
 とはいえそれもつかの間のことで、すぐに不安が押し寄せて息があがった。
 この先、ぼくは一体どうすればいいのだろう。
 実のところ、エリスは一人にされたわけではない。
 エリスを菫の家から付き添って送ってきた二人の女戦士は、古神殿の裏手で捕縛した。今は城の地下牢ではなく、ある場所に縛って転がしてある。少々怪我はしているが、死に至るほどではない。
 殺して河に投…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 おそらくは、帝都でも、アレクサンドラ姫が帝国の姫君であると知るものは少ないにちがいない。そしてまた、皇帝はそれを公表する気はないのだろう。いや、あのむすめ本人がそのことを隠匿すべく振舞っているのか。
 それは何故か。
 理由はいくつも考えられるが、今はおこう。
 あの姫君に関しては始めから、生きて、傷をつけずに捕らえろと指示はだしてある。
 こちらが痛手をくうのは覚悟のうえだ。
 あんな仕事をさせるのだから、陛下もまさかあの姫がまるきり無事ですむとは思っていないだろう。
 それにしても、あれほど丁寧で細かい目配りをする人物…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 首筋に冷たい刃物が触れて肌は粟立ち、後ろ手にされた腕がぎりぎりと軋み、堪えようのない呻き声が唇からもれた。
 神殿騎士たちは唖然として、小娘に手もなく捕まった哀れな次期領主を凝視した。
 ぼくは、羞恥に死にそうになった。
 これならいっそ、一突きに刺されたほうがましだ。
 そう思って暴れると、
「動くな」
 彼女の、あたりを制する凄まじい一喝に、ぼくは意識をとられた。
「エリスもいない今、殿下に何かあったんじゃこの国の先はないよね?」
 アレクサンドラ姫がそういって凄んだ。
 ぼくにはその表情が見えなかった。
 そのまま彼女は…[全文を見る]

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 ぼくの命令に、神殿騎士たちはさすがに躊躇いをみせた。互いに瞳を見交わし、不審そうな顔つきで、ぼくを見た。打ち合わせの時点では、ぼくはアレクサンドラ姫を捕らえるように話してあったのだ。
「伯爵はぼくの許可なく国外逃亡の予定をたてています。証拠はそこに」
 ぼくが机のうえを目でさすと、騎士たちのうち一人が進み出て、ルネが彼の領地の城代と彼の母上へ送った手紙をつかみあげた。
 若い男が頬を紅潮させて熱心に文字を追う姿を見守りながら、ぼくは続けた。
「ヴジョー伯爵は昨夕から行き先を伝えずに神殿を離れ、今日になって女戦士と連れ立っ…[全文を見る]

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「失礼して、部屋を検めさせていただきました」
「読めたの?」
「すらすらというわけにはいきませんが、判読は可能です」
 アレクサンドラ姫はいからしていた肩をおとした。
「……この国でエリス以外にソレを読める人間がいるとは思わなかったな」
「そこのヴジョー伯爵とぼく、そしてエリス以外、おそらく誰も読めないでしょう」
 姫君は赤い髪をかきあげて苦笑した。なるほど、伯爵は二人の教師で帝都学士院の最優等生だったね、とつぶやいた。
 それから挑むようにこちらを見て、
「それでも、あたしはその依頼を『受けた』とは書いていない」
「それは詭弁で…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る


 市門を閉じても間に合わないだろうと、ルネがいった。
 ぼくもそれには同意した。
 すでに日は高く、この時間に門を閉めては都市民に要らぬ動揺をもたらすことは間違いない。
 犯行があったのは早朝、古神殿の裏手の厩だった。ぼくのたったひとりの妹は、そこから姿を消した。
 何故そんなところでとぼくが憤ると、神殿のものたちは小さくなって言い訳した。
 エリスは自分で馬の世話をするといって、独りでそこに残ったそうだ。それはいつものことで、彼女はまるで馬丁のように、蹄鉄についた泥を落とし汗拭いまでしてやっていたという。
 馬とともに過ご…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

かけら

「さあ、なんでしょうね」
 伯爵がまたもや首をかたむけて、頬にかかった髪を耳にかけなおした。
「さあって……」
「なにをお望みなのかお伺いしても、こたえてくださらなかったのですよ。よほど私が信用ならないのでしょうね。不甲斐ないです」
 ほんともう、一晩一緒にいて一体ぜんたい何やってるんだか。
 あたしはずっと、「そういうこと」というのはお互いの了解とか了承とか信頼とかの究極の形なのだと思ってきた。もちろん、そうした初心さがエリスに「姫君」扱いされる最たる理由だとわかってる。
 でも、これはあまりにも酷いんじゃないかな。
 あ…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

かけら

「悪くないね」
 交渉成立。
 伯爵は、わが意を得たりって顔で微笑んだ。
 だって、しかたない。
 あんなの、黄金宮殿の晩餐会でも飲んだことがない。なにか変なものが混ざってるって聞かされても驚かないくらいの酩酊感。美味しいとか何とかっていう尺度をこえている。
「エリスがなんでこっちのほうが好きなのか、よくわからないよ」
 あたしが掲げた杯に、伯爵は肩をすくめて微笑んだ。
「あの方は、ふだん飲まれるにはこちらがお好きだというだけで、特別なときにはあちらを飲まれますよ」
「ああ、なるほどね。エリスらしいや」
「あの方らしいですか…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

かけら

 伯爵があたしの顔をじっと見据えた。
 その視線をうけ、軽々しく口にしたつもりはないけれど、厄介なことになったと慎重になる。
 この男、エリスと一緒のときと微妙に態度がちがうじゃないか。どうしてくれようと考えた鼻先に、声がとどく。
「私は家督をいったん母に預けてモーリア王国の太陽神殿に巡礼し、王女殿下をお迎えにいきながら、《至高神》の教義とやらを学んでこようかと思います。われらの太陽神殿にも改革の兆しくらいあってもよいでしょう」
「エリスを追わないの?」
「私を遠ざけたいと思っておいでの方につきまとって、ご不快の念を新た…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

かけら

 そのとき、伯爵がゆっくりと寝返りをうった。
 あたしは日記をたたんで立ち上がり、今なら刺せるかもしれないと考えて首をふった。
 この男のいうとおり、無抵抗の人間に刃をむけるのはあたしの性じゃない。悔しいけど、あたしには無理だ。それに、どうしてあたしが彼を邪魔だと思っているかを伝えてからでも遅くない。
 伯爵の隣には、古めかしい剣が置いてある。
 実用一点張りの、重い長剣。
 時代遅れといえばそうだけど、威力という点ではこれ以上のものはない。
 あたしは実戦用の軽い剣を腰に佩いていた。
 いつもの「脅し」では心許ない。
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