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超短編のことを語る

 ふちの欠けたほうのお皿に、薄めにきったロールケーキをのせる。湯気の立つマグに漬かったティーバッグを引き揚げ、リビングでリモコンをいじる友人に声をかけた。
「フォークいる?」
「いらなーい」
「マグ、ムーミンとカボチャの、どっちがいい?」
「何カボチャって」
「去年のハロウィンの時期にケーキ買ったらオマケでもらったやつ」
「ムーミン」
 ふちの欠けていないお皿とムーミンのマグを友人の前に置くと、彼女は律儀に両手を合せた。並んだ皿を見てぽつりと言う。
「自分のだけ薄く切ったでしょう」
「あたりまえ」
 コンビニのケーキは、夜のおやつとして…[全文を見る]

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話しこんだまま、夜が明けた。
「春はあけぼの」
夜の果てまでゆきついた私たちは完全に疲弊していた。もう若くないのだ。
「春じゃないし」
それでも一応つっこんでくれる存在は、何とありがたいことか。
「寝る?」
「いや、意味はないよ。もはや」
互いに、焦点の合わない目を合わせる。
変な顔、と思ったが、笑う元気はなかった。
そして、おそらく向こうも同じことを思ったはずだった。

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去り際を
心得ており
踏む桜

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悔しいのは、多分彼が私のためだと思っていることだ。
彼は多分正しいのだろう。だがそんなこと、知ったことか。
彼を置いて出てきたはずなのに、私が置いていかれたような気持ちになっている。

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「中にさ、4万円入ってたの。4万だよ!おろしたばっかでさ…」
「うん」
愚痴るのにラーメン屋を選ぶのは、明らかにまちがっていると思う。
「しかもさ!プラチナチケットまで一緒に入ってたんだよ!!あれ取るのにどれだけ苦労したことか……」
「そうかー」
私の丼はあと背脂の浮いたスープを残すのみだ。友人はずずず、と何口目かの麺をすすった。
「ねえ、それもう伸びて…」
「あああああああああ、むかつく!ほんと、どこのどいつだよ!今不幸にならなくても!情けがめぐりめぐるように、恨みもめぐりめぐってそいつに届くよ!今すぐ悪いことするわたし!」
「……うん」
私はできるだけ背脂をよけて、スープを飲んだ。ぬるくてしょっぱい。
「でさ、だから堂々と言うけど、今日おごってよね」
「………」

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「え、ミサキが来るの?」
「そうよ、だってあたしまだ夕飯作ってる最中だもん。嬉しいでしょ?」
「…ミサキ、いやがってなかった?」
「ばかね、いやがるに決まってるじゃない。がんばってね。お小遣いはあげちゃだめよ。じゃ、あたし揚げ物しなきゃいけないから切るわよ」
こちらの返事を待たず、電話は切れた。
予報よりも早く降り出した雨は、春も盛りだというのに、ひどく冷たかった。
しかし、ここ数ヶ月口も聞いてくれない娘が傘を持ってきてくれると聞けば、そんなものは最早気にならない。嬉しさ半分、戸惑い半分で、「ありがとう」のあとに何と言葉を続けたらいい…[全文を見る]

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姪は、猿に似ているのにかわいかった。
それはそれはかわいかった。
言葉が通じなくても、泣いても、怒っても、喚いても、かわいかった。
彼女の幸せを全霊で祈った。そして、信じた。

私もいつか両親や他の誰かに、あんな風に、無心に愛されたのだ。
なんで、姪の顔なんて思い出してしまったのだろう。
今、この瞬間に。
震える手から、カミソリが落ちた。
浅い傷に涙が沁みた。

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ミルクパンにココアと砂糖を入れ、少量の牛乳でじっくり練ってから、さらに牛乳を加えてのばす。それを弱火にかけてゆっくりとあたためる。時折木べらでかき混ぜる。
次第にココアの甘い香りが、キッチンいっぱいに漂ってきた。
「なんか、うまそうなにおいがする」
「んー、ちょっとひさしぶりに飲みたくなってね」
ふちをぐるりと、細かな泡が取り囲んできた。
スプーンでひとすくいし、口に入れる。
「あつっ」
「そんなに?…唇に泡がついてるよ」
「味見してみる?」
訊くと、ちょっと頬を赤らめ、目をつぶった。
先ほどよりもぷつぷつ言っているココアをスプーンにすくい、飲ませてやった。
怒られた。

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髪を濡らすのには、いつも僅かな覚悟が必要だ。
洗うのが嫌いなのではなく、濡らすことにためらいがあるのだ。皮膚は乾いたタオルで拭えばすぐに乾くのに、髪の毛は一度濡らしてしまえば、元通り乾かすまでに時間がかかる。
目をつぶり、髪全体にシャワーを浴びせる。根元まですっかり水びたしになってしまえば、観念した気持ちになる
ジェットコースターも嫌いだ。一度乗り込んでしまうと、恐いからといって途中で降りるわけにはいかないから。
極力手早く済ませ、リンスをもみこんでいると、背後でドアが開いた。
「……泣き止まないんだけど」
夫ごしに、息子のふりしぼる…[全文を見る]

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はちみつをすくったスプーンが、びんの口から傾いて落ちた。
すんでのところで、手のひらで受け止めたはいいが、はちみつまみれになってしまった。
誰に見られているわけでなし、もったいないのでそのまま口元へ持っていく。
行儀悪く舐め回す姿が、沈黙しているテレビに映った。
熊のようだ。
蜜をすくい続けて手のひらが甘くなったら、あのひとに食べさせてあげよう。

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藤色の闇がずっと続いている。
川は白く、とろとろと流れている。
私は小舟に腰をかけていた。
船頭さんはなく、櫂もないのに、舟はひとりでゆっくりと進んでゆく。
寒くもあたたかくもない。
することもないので、舟に横たわった。
ごつごつしていて寝心地はよくなかったが、まぶたが自然に落ちる。

「ていう夢を見てね。白河夜船ってこういうことか、と思ったわ」

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足首、というだけあって、ひゅっとしたくびれは確かに首のようでもある。
鶏を思い浮かべ、両の手でぎゅっと足首を絞めた。爪先を、バタバタ、バタバタ、左右に動かす。
じわじわと力をこめる。爪先の動きがいよいよ激しくなる。足の裏からふくらはぎまで攣りそうになったところで、脱力させた。手の力も抜く。
あしくび、くび、くびれ、くびる。
五段活用にもならないけれど。
老廃物がたまってしまうわ、と思いながら、足首に親指をあて、むくんだふくらはぎをマッサージした。

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満開の桜の枝の向こうに、青空が透ける。池は日差しを浴びて水面がキラキラと光り、風はかぎりなくやわらかで、甘い。
ペットボトルのお茶を飲みながら、隣を歩く人の存在すら忘れかけて、ぼんやりと歩いていた。
「結婚しようか」
唐突に、右上から降ってきた言葉の意味を正確に理解するまでに、時間がかかった。
「はい?」
「結婚。しない?」
眼鏡の人は表情一つ変えていない。つまらない人だ。
「なぜ今」
「天気がよくて、気持ちいいからさ。結婚しようよ」
「なるほど。じゃあ、お天気がよくてとても気分がいいので、承諾しましょうか」

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どうぞ、と腰の曲がった老人に席を譲ると、老人がにやりと笑った。
「なーんてね」
言うと同時に腰を真っ直ぐ伸ばす。
「まっすぐ立てるんだー、ほんとは」
そのまま軽く背中を反らす。
ぐきっと鳴った。
「………どうぞ」
老人は黙って座った。

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手の甲に残る傷に触れる。
牙で深く抉られた傷は、きっといつまでも残るだろう。まだズキズキと痛んだ。
横たわる冷たい体を、頭から腹まで撫でた。
いつか、この傷を疎ましく思う時が来るのだろうか。
「でも、ずっと覚えてるよ…」
語尾は声にならなかった。

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かわいかったから、と言って友人がくれたのは、猫の刺繍がしてあるトイレットペーパーホルダーだった。
クリーム色のモコモコした地に、キジトラの猫が色鮮やかなクッションの上にちょこんとお座りしている図が刺繍されていた。
殺風景なトイレで、トイレットペーパーまわりだけが明るくなった。
紙に手を伸ばすとき、猫と目が合い、なんとなく、その顎の下あたりを人差し指でこすった。
すると、猫がゴロゴロと喉を鳴らした。
まさか、と思い指を離す。再びその顎の辺りに指をあてがう。何も音はしない。
そっとこする。すると、またゴロゴロと鳴り出した。
ひっくり返した…[全文を見る]

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「佃煮でしょ」
袋からツクシを取り出す。
「てんぷら」
ヨモギ。
「で、酢味噌和え」
ノビル。
自転車で20分、春の野でおみやげを刈ってくる。
「キヨちゃん」
ハコベをわっしと掴むと、セキセイインコのえさ箱に盛り付けた。
キヨちゃんははっとしたようにハコベを見ると、止まり木からいそいそと降りてきた。間もなく、ポリポリとリズムよく啄ばむ音が聞こえてくる。
「で、あとは…」
エノコログサを鼻先で振ると、寝入っていたミケは一瞬で目を覚ました。
ポリポリをバックに、ミケが右へ左へ身をよじる。
ヨモギはお団子にしてもいいかもしれない。
ミケがエノコログサの穂を食いちぎっている。
「そうそう、どんどん遊んでちょうだい。せっかくいっぱい摘んできたからさ」
野原の風が吹く。

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懐かしい匂いがする。誰かの家、いつか泊まった宿。
木の香りだろうか。
小さなランプがテーブルごとにつるされていて、ランプの下だけがスポットライトを当てられたように明るい。私はすみっこの暗がりに身を潜める。
私は、あらゆる物事から、全速力で遠ざかろうとしているのだ。
ここで今、眠ってしまいたいと考えている。
レトロとかくつろぎとか異国情緒とかノスタルジーとか、鼻で笑い飛ばしたくなる言葉の数々に埋もれながら。
コーヒーが永遠に運ばれてこなければいいと、考えている。

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ヒヤシンスの苗をもらった。
水を与えると、日に日につぼみがふくらんで、あっという間に、青い花を咲かせた。
たった3つきりの苗は、恐ろしい勢いで1DKの空間に香りをいきわたらせ、今や私の部屋はヒヤシンスで侵されている。
私は自分の部屋に違和感を覚え、裏腹にヒヤシンスは堂々と咲き誇っていた。
あまりの匂いに噎せ返り、私はとうとう枕と掛け布団を持って、お風呂場へ移動した。
乾いたタオルで浴槽を拭きながら、なぜ私が部屋を出てきているんだろう、とぼんやり思った。
鼻の奥で、ヒヤシンスが冷たく香った。

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アイスコーヒーの氷が全部溶けた頃、父が口を開いた。
「……あの男は、独り身じゃないな」
私のグラスはすでに氷までかじられてからっぽだった。
「…俺が言えたことじゃないが、誰も幸せにならないぞ。……お前だって知ってるだろ」
父のアイスコーヒーをたぐりよせて、黙って飲んだ。
「殴れないよ。お前も、あの男も。…お前代わりに俺を殴るか」
「…意味ない、それ」
喉の乾きはおさまっていたのに、初めて発した声は少しかすれた。
そのまま、涙が出てきた。