朝からバタバタ動いて全然座れない。
食事の時は座るが読書もできていない。
ベリー仕事や魚のスープのためにエビの頭でブイヨンを取ったりその後始末やら。
今、晩ご飯が終わったが勢いで皿洗いして片付けてルバーブを摘んでこよう。
立ち上がらないと立ち上がれなくなる。
今は根を生やしてはいけない。
お話しするにはログインしてください。
朝からバタバタ動いて全然座れない。
食事の時は座るが読書もできていない。
ベリー仕事や魚のスープのためにエビの頭でブイヨンを取ったりその後始末やら。
今、晩ご飯が終わったが勢いで皿洗いして片付けてルバーブを摘んでこよう。
立ち上がらないと立ち上がれなくなる。
今は根を生やしてはいけない。
明日から雨になるというので慌ててベリーを収穫しジャムを作ったら疲れた。
地味な作業だが約3時間ほどかかる。
1kg半のベリーをジャムにした。
眉毛を描かずに仕事に行ってしまったぁー。
家に帰ってから気付いた。
トイレに行く度に鏡は見ていたはずだけど、気付かないくらいならどうでもいいのでは。
たまにマスカラを忘れることもあり、見て気付くというよりは何となくいつもの工程を飛ばした気がして気付く。
しかし鏡を見た時、やってもやらなくても大きくは変わらないという気はする。
そういえば今日はチャットでしか会話していないので、多分皆も気付かなかっただろう。
ブログ日記です。
2025年7月22日 火曜日 晴れ時々くもり 通院と「○○ファースト」について
https://talkiyanhoninjai.net/archives/15114
おはようございます(いっとく的に)
化粧しメガネかけたら汗がしたたり落ち
メイク直しする羽目に
働きます
皆様良い日をお過ごしください
グッモロン!
昨夜も寝苦しく夜中に布団でゴロゴロしていた。
少し気温が下がってほしい。
昨日の続きの庭仕事をしたい。
よい1日を。
今回の選挙の結果で、息子の将来のことが あらためてとても不安になってしまったし
自分も重病になったり 年老いたら早く〇ねということなのかなとか そういう考え方の人が多数なのかなとか
そういう短絡的なことを考えてしまう
なにより息子自身に「自分は無価値な、不要な者」という価値観を内面化してほしくない 私みたいに
最近のラジオ体操
「笑顔でー!」「もっともっと!」なんて煽りは、いらないのではないかと思うこのごろ
社会のこと、親子関係のこと
「グレーでOK、グダグダでOK、すぐに・ひとりで解決するものでもなく、答えが出なくてOK」
「モヤモヤを、持続的に抱え続ける足腰、心の粘り強さをつけていきましょう」ということなのかなあ...と思う
そういう概念を表すのに ネガティブ・ケイパビリティ というヨコモジがあるらしい、と知りました
白黒志向・0か100かしかない極端な人間です
(若い頃はもっと酷かった 配偶者とか子どもとか、複雑でゴチャゴチャな生身の人と生活する事で、すこしだけ治った)
如何に「あっちは黒でこっちは白!」って決め付けたり 拒絶したりしないで関わっていくか
極端さ、を薄めていくかっていうのが自分の課題という気がしてる
ボンヂーア
昨日は母の誕生日だったので中華料理のテイクアウトでささやかにお祝い。
受け取りに行ったお店は早めの時刻から繁盛の気配が漂っていた。学校の夏休みが始まったもんね。
今日は午前中芝刈ってそれから天気が良いのでセカンドハンド巡りして来た。
今日の収穫はIittalaのグラス5脚。
グラスばっかりどれだけあるのかと自分でも呆れるが破格でついつい。
ビールでもワインでもジュースでも何でも使えるフォルムなので嬉しいし惜しげなく使える。これが大事。
メイド・イン韓国のステンレスのお皿も買った。サムギョプサル用の肉も買ってきたから早速使おう。
明日は雨らしいので静かに暮らす。
おやすみなさい。
今日も1日ありがとう。
クラシックを聴きながら、仕事をしていたら、久しぶりに心が震える楽曲に出会った。調べてみると、ユニカ・タンズィルという若いインドネシア女性の作品だった。バークリーとジュリアードで学位を取って、アジア人女性の作曲家として初めてドイツグラモフォンと契約して、この秋にファーストアルバムを出すのが話題になっていたのだった。ぼくは最近まで現代マンドリン奏者がイタリアとイベリア半島の土着的な音楽をポストクラシックにアレンジした楽曲を聴いていたんだけど(アヴィ・アヴィタルという人の作品)、音楽は軽々と世界を半周とか一周するんだなあという感動を覚えた。
(承前)そして京都は暑い。夜8時過ぎでなお30度。
駅のモールでお囃子が流れていて、祇園祭の後祭だと知る。
知ってたら一時間早い電車で来たのになあ。宵山見たかった。まさに後の祭り。
本格的に蝉が鳴き出してくれたので、オフィス前の大きな公園に行って、その姿を確かめようと思った。クヌギかナラかよく分からないけれど、大きな樹々を仰いで、蝉を探した。こんな風に、蝉を探すのは何十年ぶりだろうか。太い木の幹やいくつもに分かれた枝を見てたら、世界はこんなにも美しかったんだなと感動した。木陰から田んぼを見ると、赤トンボが飛んでいるのにも気がついた。そうか、虫取り網を持っていた子供の頃には、こんな風に世界は見えていたのだなと感じたのであった。