ああ、丸い丸い丸い丸い。この時期、きゃつは腕を曲げ、広げ、指を伸ばしたいつもの姿勢を過剰に演出せんと、大量の球をその身にまとう。
「あれはエネルギーの球に違いない」
今年もまた、世間を混沌の渦に取り巻く為、妖しさすら漂う体液の色を表出させたのだ。すでに人々も報道もそのことに浮き足立っている。
だが、私考えるところのそのエネルギー球を、「丸い」だの「球」だの指摘する声は滅多に聞かれない。今年もどうやらそのようだ。
「果たして世間はあれをどのような形と見ているのか」
妖しさを根本に死体が埋まっているとさえ表現しうる高度な感覚に、未知のエ…[全文を見る]
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ミルクパンにココアと砂糖を入れ、少量の牛乳でじっくり練ってから、さらに牛乳を加えてのばす。それを弱火にかけてゆっくりとあたためる。時折木べらでかき混ぜる。
次第にココアの甘い香りが、キッチンいっぱいに漂ってきた。
「なんか、うまそうなにおいがする」
「んー、ちょっとひさしぶりに飲みたくなってね」
ふちをぐるりと、細かな泡が取り囲んできた。
スプーンでひとすくいし、口に入れる。
「あつっ」
「そんなに?…唇に泡がついてるよ」
「味見してみる?」
訊くと、ちょっと頬を赤らめ、目をつぶった。
先ほどよりもぷつぷつ言っているココアをスプーンにすくい、飲ませてやった。
怒られた。
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髪を濡らすのには、いつも僅かな覚悟が必要だ。
洗うのが嫌いなのではなく、濡らすことにためらいがあるのだ。皮膚は乾いたタオルで拭えばすぐに乾くのに、髪の毛は一度濡らしてしまえば、元通り乾かすまでに時間がかかる。
目をつぶり、髪全体にシャワーを浴びせる。根元まですっかり水びたしになってしまえば、観念した気持ちになる
ジェットコースターも嫌いだ。一度乗り込んでしまうと、恐いからといって途中で降りるわけにはいかないから。
極力手早く済ませ、リンスをもみこんでいると、背後でドアが開いた。
「……泣き止まないんだけど」
夫ごしに、息子のふりしぼる…[全文を見る]
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はちみつをすくったスプーンが、びんの口から傾いて落ちた。
すんでのところで、手のひらで受け止めたはいいが、はちみつまみれになってしまった。
誰に見られているわけでなし、もったいないのでそのまま口元へ持っていく。
行儀悪く舐め回す姿が、沈黙しているテレビに映った。
熊のようだ。
蜜をすくい続けて手のひらが甘くなったら、あのひとに食べさせてあげよう。
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藤色の闇がずっと続いている。
川は白く、とろとろと流れている。
私は小舟に腰をかけていた。
船頭さんはなく、櫂もないのに、舟はひとりでゆっくりと進んでゆく。
寒くもあたたかくもない。
することもないので、舟に横たわった。
ごつごつしていて寝心地はよくなかったが、まぶたが自然に落ちる。
「ていう夢を見てね。白河夜船ってこういうことか、と思ったわ」
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足首、というだけあって、ひゅっとしたくびれは確かに首のようでもある。
鶏を思い浮かべ、両の手でぎゅっと足首を絞めた。爪先を、バタバタ、バタバタ、左右に動かす。
じわじわと力をこめる。爪先の動きがいよいよ激しくなる。足の裏からふくらはぎまで攣りそうになったところで、脱力させた。手の力も抜く。
あしくび、くび、くびれ、くびる。
五段活用にもならないけれど。
老廃物がたまってしまうわ、と思いながら、足首に親指をあて、むくんだふくらはぎをマッサージした。
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満開の桜の枝の向こうに、青空が透ける。池は日差しを浴びて水面がキラキラと光り、風はかぎりなくやわらかで、甘い。
ペットボトルのお茶を飲みながら、隣を歩く人の存在すら忘れかけて、ぼんやりと歩いていた。
「結婚しようか」
唐突に、右上から降ってきた言葉の意味を正確に理解するまでに、時間がかかった。
「はい?」
「結婚。しない?」
眼鏡の人は表情一つ変えていない。つまらない人だ。
「なぜ今」
「天気がよくて、気持ちいいからさ。結婚しようよ」
「なるほど。じゃあ、お天気がよくてとても気分がいいので、承諾しましょうか」
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どうぞ、と腰の曲がった老人に席を譲ると、老人がにやりと笑った。
「なーんてね」
言うと同時に腰を真っ直ぐ伸ばす。
「まっすぐ立てるんだー、ほんとは」
そのまま軽く背中を反らす。
ぐきっと鳴った。
「………どうぞ」
老人は黙って座った。
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手の甲に残る傷に触れる。
牙で深く抉られた傷は、きっといつまでも残るだろう。まだズキズキと痛んだ。
横たわる冷たい体を、頭から腹まで撫でた。
いつか、この傷を疎ましく思う時が来るのだろうか。
「でも、ずっと覚えてるよ…」
語尾は声にならなかった。
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かわいかったから、と言って友人がくれたのは、猫の刺繍がしてあるトイレットペーパーホルダーだった。
クリーム色のモコモコした地に、キジトラの猫が色鮮やかなクッションの上にちょこんとお座りしている図が刺繍されていた。
殺風景なトイレで、トイレットペーパーまわりだけが明るくなった。
紙に手を伸ばすとき、猫と目が合い、なんとなく、その顎の下あたりを人差し指でこすった。
すると、猫がゴロゴロと喉を鳴らした。
まさか、と思い指を離す。再びその顎の辺りに指をあてがう。何も音はしない。
そっとこする。すると、またゴロゴロと鳴り出した。
ひっくり返した…[全文を見る]
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「佃煮でしょ」
袋からツクシを取り出す。
「てんぷら」
ヨモギ。
「で、酢味噌和え」
ノビル。
自転車で20分、春の野でおみやげを刈ってくる。
「キヨちゃん」
ハコベをわっしと掴むと、セキセイインコのえさ箱に盛り付けた。
キヨちゃんははっとしたようにハコベを見ると、止まり木からいそいそと降りてきた。間もなく、ポリポリとリズムよく啄ばむ音が聞こえてくる。
「で、あとは…」
エノコログサを鼻先で振ると、寝入っていたミケは一瞬で目を覚ました。
ポリポリをバックに、ミケが右へ左へ身をよじる。
ヨモギはお団子にしてもいいかもしれない。
ミケがエノコログサの穂を食いちぎっている。
「そうそう、どんどん遊んでちょうだい。せっかくいっぱい摘んできたからさ」
野原の風が吹く。
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懐かしい匂いがする。誰かの家、いつか泊まった宿。
木の香りだろうか。
小さなランプがテーブルごとにつるされていて、ランプの下だけがスポットライトを当てられたように明るい。私はすみっこの暗がりに身を潜める。
私は、あらゆる物事から、全速力で遠ざかろうとしているのだ。
ここで今、眠ってしまいたいと考えている。
レトロとかくつろぎとか異国情緒とかノスタルジーとか、鼻で笑い飛ばしたくなる言葉の数々に埋もれながら。
コーヒーが永遠に運ばれてこなければいいと、考えている。
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ヒヤシンスの苗をもらった。
水を与えると、日に日につぼみがふくらんで、あっという間に、青い花を咲かせた。
たった3つきりの苗は、恐ろしい勢いで1DKの空間に香りをいきわたらせ、今や私の部屋はヒヤシンスで侵されている。
私は自分の部屋に違和感を覚え、裏腹にヒヤシンスは堂々と咲き誇っていた。
あまりの匂いに噎せ返り、私はとうとう枕と掛け布団を持って、お風呂場へ移動した。
乾いたタオルで浴槽を拭きながら、なぜ私が部屋を出てきているんだろう、とぼんやり思った。
鼻の奥で、ヒヤシンスが冷たく香った。
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アイスコーヒーの氷が全部溶けた頃、父が口を開いた。
「……あの男は、独り身じゃないな」
私のグラスはすでに氷までかじられてからっぽだった。
「…俺が言えたことじゃないが、誰も幸せにならないぞ。……お前だって知ってるだろ」
父のアイスコーヒーをたぐりよせて、黙って飲んだ。
「殴れないよ。お前も、あの男も。…お前代わりに俺を殴るか」
「…意味ない、それ」
喉の乾きはおさまっていたのに、初めて発した声は少しかすれた。
そのまま、涙が出てきた。
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クローゼットの隅から、『2』と数字をふったドロップの缶を取り出した。
中にはシルバーのアクセサリーが入っている。
ネックレス、指輪、ピアス、バングル。ごちゃごちゃに入れられたアクセサリーは絡まりあって、どれも黒っぽく変色していた。
趣味は、と訊かれると、シルバーのアクセサリーの収集と答えているが、私はアクセサリーをつけるのが好きではない。
指輪とバングルに2本の形違いのチェーンが絡まりついているのを、ゆっくりゆっくりほどいていく。ピアスはキャッチをはずし、ひとつひとつ並べていく。
30分かけて、準備が整った。『1』の缶アクセサリーと…[全文を見る]
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鶏のモモ肉をまな板の上に乗せる。
包丁をあて、すっと手前に引く。肉が切れる。
羽根もない。骨もない。血もでない。
ふたたび包丁をあて、目を瞑り、すっと手前に引く。
肉を切る感触を覚える。
これは生きていたもので、今は食べ物だ。
ボウルに醤油とお酒と味醂を混ぜ、切った肉を放り込んだ。
手で混ぜ合わせる。冷たくやわらかい、肉。
片栗粉をはたいて油で揚げれば、香ばしい香りと共にからあげが出来上がるだろう。
冷たい肉は、ボウルの中で鶏の面影をなくして、味付けされている。
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春の雨は音すら輪郭がぼやける。
固い木肌に滴る雫は、眠れる芽をやわらかくほぐすのだろう。
だから、木の芽に免じて許してやろう。
ビタビタの靴をいまいましい気持ちで脱ぎ捨て、ストッキングをひっぱるようにして脱いだ。
雨は大嫌いだけど。
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春の風は図々しいので好きではない。
人の服の中に入り込んできて、素肌をさわさわと撫でてゆく。
なまぬるく、やわく、湿り気を帯びたその風に、すっかり全身をくるみこまれる頃、花が芽吹き、生き物が土の中から這い出てくる。
そして、私も所詮、ただのひとつの命だと知る。
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いつものように、姉が部屋に来た。
パソコンに向かう私の後ろで、黙って漫画を読んでいたかと思うと、ひとりごとのように呟いた。
「結婚することになった」
え?と振り向く。姉は漫画を読んでいる。
「結婚?」
「そう、6月…え、ちょっと、何泣いてんの!」
「わかんない…なんか急でびっくり、したし…お、お姉ちゃんが出てっちゃうの寂しいし…結婚、するの、うらやましいし…お姉ちゃんの彼氏も、うらやましいし…」
「何言ってんの」
「わかんない…」
姉が袖を差し出してくれた。
もう気軽にこの袖を頼りにすることができないんだと思うと、涙は吸い取られた端から湧いて出てきた。
「お、おにいさんには、この袖、貸しちゃ、だめ、だからね」
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「あゆみー」
母が呼ぶ。妹は今、出かけているはずだ。
「じゃなかったー、ももー」
猫は私の隣で寝そべりながら、耳だけをドアのほうに向ける。
「お母さんばかだね、あんたとあゆみの名前間違ってるよ」
「も……じゃなくて、みやー」
「どうしてあゆみの次がももでその次にあたしなのよ!」